アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

エイフマン・バレエ来日公演『ロダン』

21年ぶりの来日、振付家エイフマン率いるサンクトペテルブルクが本拠地のバレエ団。

エイフマン・バレエ 日本公演2019 特設サイト-TOPページ-

2019年7月18日19時 東京文化会館

f:id:cocoirodouce:20190829094304j:image

ロダン~魂を捧げた幻想」の初演は2011年。彫刻家ロダンカミーユ・クローデルロダンの妻ローズの3人を中心としたストーリー。ロダンカミーユの作品をダンサーの生身の身体で表現するところが見どころ。特に「カレーの市民」の作品が立ち昇る様は見事。

 

女性たちを自分の作品に利用するだけ利用するロダンのクズっぷりはまあ実際そうだったのだろうし、結局自分の作品しか愛せない人だったんだろうなと思うのだけど、それをバレエ作品にしようとする時にそのロダンの「態度」をどう描くかは、振付家の思想が現れると思う。ロダンの、女性と女性の身体をモノとして扱う様、それを特に批判的視線もなく展開するところに、今時なんだかなーー、と思ってしまった。

 

そして序盤から気になったのが音楽の選択で、ロダンカミーユというフランスの芸術家のストーリーだからフランス音楽で、というのもなんだか安直に見えたし、選曲もいまいちに思えた。私にとってその作品が好きかどうかの重要な要素の一つが音楽の使い方なんだなあと、これをきっかけに気づいた。振付家がどんな音楽を選んでいるかが自分にとってこれほど重要だったとは。

 

主要3人以外はこれといった役はないので、群舞はディヴェルティスマンとして入ってる感じなのだが、これもなんだかおおざっぱに感じられて、ダンサーたちはみんな長身でダイナミックなんだけど、私はそこは特別求めてないのかも。

 

現代バレエではあるけれども、やっぱりロシアバレエなんだなあ。ロシアのおじいさんの感覚(エイフマンさん1946年生まれ72歳らしい)、と言ったら言い過ぎかもしれないが、選曲のセンス、振付のセンス、ロダンカミーユの関係の解釈などに古さを感じた。例えばノイマイヤーだったらこうは描かないだろうなみたいなことが頭をよぎった。

過去を振り返ってみても、ロシア系のバレエで感動したの思い出せない私には向いてなかったんだと思う。そして去年MBSで観たこれのことも思い出してしまった。

Russian State Ballet of Siberia『ロミオとジュリエット』

 

ここ数週間でパリオペ、ロイヤル、NDT、マシューボーンと観てきてのエイフマンバレエだから、比べずに観るのは不可能で、比べると古い、ださい、と感じてしまうのも仕方ない。(※私の好みの問題です)