アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

自宅でアート鑑賞その12

ヨーロッパでの外出規制が緩和されてきてるけど、劇場での公演が再開されるのがいつになることやら、先が見通せなくて不安ね…。

 

イングリッシュナショナルバレエの『白鳥の湖』(5/29まで)

English National Ballet

 

王子とオデットのつながりよりも、オデットと白鳥さんたちのつながりの方が強く感じるバージョン。他の版では王子とオデットのみが舞台上にいるような場面でも、これは群舞がそばにいたりするのでそう感じるのかも。

2幕、白鳥群舞の美しさが映える場面の1つ、24羽が三角のフォーメーションになるところ、その先頭で視界を遮ってロットバルトがバサバサするので「邪魔」となった。あれなんでだろ。

王子とオデットの愛の物語が見えないと、最後の王子の後追いやあの世での幸せが違和感ある。

 

 

バレエと言っても幅が広い。  

NYCB Digital Spring Season: Donizetti Variations

 

NYCBのバランシン作品ではダンサーたちの「バネ!」「筋肉!」となる。アスリート的でありながら音楽を体現する。

NYCBってガラでしか観たことがなかったけど本拠地でのカンパニーとしての公演を見るとその魅力が見えた気がする。オンラインありがとう。

 

 

ロイヤルバレエ太っ腹。今シーズンの新作”The Cellist”公開。

youtu.be

チェリストをローレン・カスバートン、チェロをマルセリーノ・サンベ、指揮者にマシュー・ボール。

ローレンが演じるのはチェリストジャクリーヌ・デュ・プレの生涯。調べてみたらジャクリーヌは多発性硬化症により42歳で亡くなったのだという。チェリストとして成功していながら病気により演奏を奪われる、その悲劇たるや…。そしてピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムと結婚していたとあり、ということはマシュー演じるあの指揮者は…バレンボイム?(だいぶイメージ違うけど(笑))

最後、マシューがローレンの腕を取りチェロを弾くところ、その数秒だけで泣いてしまった。ローレン素晴らしいな。振付はキャシー・マーストン。

 

さすが演劇バレエの得意なロイヤルだけある。踊ってなくても語れる力、それがあってこそのバレエの技術であったり振付なのだよね。

 

 

さて問題の(?)新国『ロメジュリ』である。(6/5 14時まで)

[巣ごもりシアター]ロメオとジュリエット | 新国立劇場 バレエ

 

前回公開された新国『マノン』では”演技”についてずいぶん考えさせられたもので、別キャストによる別作品を見てどう感じるか、楽しみにしていた。

 

結果から言うと、やっぱり私は新国の”演技”が苦手である。おそらく演劇度合が高い作品ほど”演技”への違和感が増すので、無機質なコンテやバリバリの古典ならまた違うと思うのだけど、「がんばって演技してます!」という演技が気になって最後まで物語に入り込めない。

 

そうなると残念ながらマクミラン作品では厳しいということになる。古典バレエの予定調和と対極にあるのがマクミランの演劇バレエで、いかに自然な動作(表情)かが大事。自然な流れの中に振付がちりばめられている。ロイヤルの映画館中継で指導者やダンサーたちがマクミラン作品について語るのはそういうこと。「醜くなるのを恐れるな」であったりとか。

 

新国のロメジュリではどうか。その表情、普段の生活の中でしたことありますか?

もちろん、その大げささは大きな劇場の客席最後尾まで届けようという意図かもしれないけどね、映像で見られること前提には踊ってないだろうし。(最近ではそうでもないかも?)

その不自然さは、表情だけではなくて古典バレエ的な予定調和の雰囲気からも来ていると思う。お約束感とでもいうか、うまく言えないんだけど。その場を生きてる感じがしない。

 

これはもう、この国における伝統というか、バックグラウンドから来る当然の帰結なのかなあ。表情や動作にあるマンガやアニメ感。ジュリエットやマノンのような若い女性がどう描かれるか、どんな風にその役を演じるか。幼く可愛らしいことを良しとする文化圏においては、もっと大人の人物像を上演することは許されないのだろうか。というか、求められてないのかな。

ちょっと余計なことを言うと、女性が「幼く可愛く無知なふりをする」というのは、現代日本の実社会においても「ある」話なので、それをバレエ作品の上演においてまで見たくない、という気持ちが私にはあるので感じることかもしれない。

 

ロイヤルの『ロミオとジュリエット』(マシューとヤスミン)を映画館で2度観た記憶からすると、気になることが多すぎた。

そしてロイヤルにはベテランのキャラクターダンサーがいて、老けメイク不要でその役ができる人材の豊富さも指摘したい。若いダンサーががんばって老け役をやっているとどうしても質量としての”軽さ”が出る。それも舞台全体の”不自然さ”につながるので、もちろん仕方がないこととわかってはいるけど、無視できる違いではないと思ったので。

 

前回『マノン』での葛藤↓

新国立劇場「マノン」をオンラインで見て考えたこと

 

それぞれのカンパニーにそれぞれの持ち味があり、お家芸と言えるような作品があると思うので、新国の個性なのだと思っておく。 

 

 

YouTubeが勝手にパリオペの『シンデレラ』(カール・パケットのアデュー公演)を再生し始めたので流していたのだけど、カール登場の場面での客席からの熱い拍手に、私も一緒になって拍手したい気持ちになった。ほんと愛されたダンサーだよね。(そして泣く)

公式じゃなさそうなのでリンクはしないでおく。

 

 

こんなにあっさり数秒で泣く私が2時間見ても全くの無反応ってね!完全に好みの違いですね。もう葛藤はしないことにする。