フランソワ・オゾン監督の≪Grâce à Dieu≫、フランスで実際に起きた神父による少年たちへの性的虐待事件が元になっている。描きにくいことを描き、その残酷さが伝わる映画。
メルヴィル・プポー演じるアレクサンドルは5人の子供の父親で妻や子供たちとミサに通うカトリック教徒。非常にカトリック。私の知っているフランス人たちであんなにカトリックな人いない。仕事も順調で家族もいて、ある意味”理想の家族”のように見えて、よりによってカトリックの神父の性的虐待の被害者でもある。
映画の序盤、加害者である神父とアレクサンドルが対面し、過去について話し合う場面があるのだけど、その最後に、立会人と神父、そしてアレクサンドルの3人が手をつなぎ、聖書の一説を唱える。なんという残酷。神の名を借りた暴力に感じた。
神とは宗教とは。一番信頼し、心を寄せていたものに裏切られた傷は大きい。でもアレクサンドルは今も敬虔なカトリック教徒だし、自分の子供たちもそうだ。そこがアレクサンドルの複雑さであり辛さな気がする。
終盤、息子の1人に、"Tu crois toujours en Dieu ?"と聞かれる。(今も神様を信じてる?)
アレクサンドルは何と答えたんだろうか。重い。
数人の元少年たちの当時と現在が丁寧に描かれるので、それぞれが負っている傷の深さに胸が痛む。長く傷を抱えて生きてきた人たちが、アレクサンドルによる告訴をきっかけに1人、また1人と声を上げていく。自分は1人ではない、わかってくれる人がいる、ということの力。これにはせめてものという前向きな気持ちになる。戦うことで生まれ変わる。元少年2人が過去をちょっとだけ笑い話に引用するところ、あれは強くなった証だと思う。
性犯罪被害者本人だけでなく、親子関係、家族関係にも長く影響し続け、本当になんという重罪かと怒りに震えるものがある。特に親子では、身近であるがゆえに受け入れられない親が子供をさらに傷つけてしまう場合もある。本作は少年たちが被害にあった話だが、世の中の多くの被害少女たちのことも思うとなんと言ったらいいか言葉が見つからない。
伝統的にカトリックの国であるフランスでカトリックの聖職者を糾弾する難しさ。力関係が非対称過ぎる。例えば学校対児童生徒。例えば大企業対個人。例えば伝統的男社会に対する女性。権威主義的であり全体主義的であり「長い物には巻かれろ」なこの国では、全く他人事ではない。
原題の≪Grâce à Dieu≫は「神様のおかげで」という意味だが、それが発せられる人と場面が、そこでそれを言う!?という、その人物の本心が現れた場面だった。この作品を観ている間、何度宗教の暗部に恐ろしくなっただろう。私がlaïqueだからそう感じるのだろうか。被害者の中にはアレクサンドルと対照的にカトリックを捨てlaïqueになった人もいた。
邦題になってる「グレース・オブ・ゴッド」ってちょっと意味的におかしい気がするんだけどな。英語タイトルはBy the Grace of Godらしい。そこから取ったんだな。
ところでメルヴィル・プポー好きな俳優なんだけど、印象深いのはなんといってもグザヴィエ・ドランの≪Laurence Anyways≫(わたしはロランス)。素晴らしかったなー。
まだサイトあった。