アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

Une intime conviction(私は確信する)

フランスで実際にあった未解決事件をもとにしたストーリー。

 

映画『私は確信する』オフィシャルサイト

 

行方不明の妻を殺した容疑で裁判にかけられるヴィギエ。妻が自ら姿を消したのか死んでいるかも不明なのに殺人で起訴されてしまうのかというのも驚きだけど、ヴィギエに無罪判決が出ても検察が控訴し、再び被告となってしまう。フランスの裁判制度はよくわからないのだけど、なぜヴィギエのみが疑われたのかどうも腑に落ちない。

 

真相が不明で、いくらでも仮説が立てられる。警察も検察も検事もメディアも人々も、ヴィギエが妻を殺したのだと仮説を立て、疑惑の目をヴィギエだけに向ける。

推定無罪の原則が破られ、自分は無罪だと言ってもその声はかき消される。怖い。

 

メディアが大げさに盛って伝え、裁判とは関係なく有罪だという空気が作られる。こういうのはよくあることで、日本でも容疑者の段階ですでに有罪のように扱われることは多々ある。

 

ヴィギエの無罪を信じて裁判の準備に協力するノラ。そもそもノラが有名弁護士に直談判してヴィギエの弁護を頼んだ。そして進行する裁判の最中もノラが超重要な役割を果たす。なんなら自分の生活を犠牲にしてまでも。

 

どうしてそこまでできるのかを考えて、でも、正しいことをすることに本来理由なんていらないんだよな、と思う。正しいことをしない自分にはやらない、できない理由を考えなくてはいけないけど。このノラの人物像はフィクションで実在はしないそうなのだけど、その存在こそが、正義とか倫理とかなのかもしれないな。

 

ノラの調査で疑いが増したのが妻の愛人だったデュランデなんだけど、これがめっちゃ怪しくて嫌なやつで、実在の人物なんだろうけどこうやって描かれてしまうのなんか凄い。

そして有名弁護士も実在していてなんと今はフランスの法務大臣を務めているというからこれまた驚き。

 

自由と人権の国でも推定無罪が危うくなってしまうことがあり、それを監視し批判的に見つめる人々の存在がなくては簡単にゆがめられてしまう制度なんだなと、考えさせられる。

 

普段、特に日本では権力者に甘く、一般人は偉い人に意見する習慣がない。意見の対立どころか意見を言うこと自体を嫌がる傾向がある。とても危ういと思う。たとえ小さなことであっても声を上げること、正しいことを求めることを手放してはいけないのだと思う。

 

タイトルのune intime convictionは「内的心証」。

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