アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム

東京都庭園美術館で始まったこちらへ。

f:id:cocoirodouce:20220119093511j:image

奇想のモード
装うことへの狂気、またはシュルレアリスム

2022年1月15日(土)~2022年4月10日(日)日時指定制

www.teien-art-museum.ne.jp

 

何度となく通っている庭園美術館ではあるが、今回はちょっと違う雰囲気を感じた企画。私が選んで観に行ってるわけだから取捨選択の傾向の問題かもしれないが。

 

「奇想のモード」とあるので服飾メインなのかと思ってたけど、シュルレアリスムとして見るとすべてがシュルレアリスムに思えてくる。

 

人間の持つこだわり、偏愛、偏狂ってすごいなー。突き詰める、こだわりぬく、もっともっとと求め続けることが生むアート。”アート”の語源って”技術”だしね。

 

モードという身に着ける物へのこだわり。何を美しいと思い、何を愛でるかは時代や文化、価値観にも依存する。

コルセットで締め付けた極端に細いウエストや中国の纏足のように、身体的には苦痛でも美を優先するもの。纏足された小さな足のための美しい刺繍がされた小さい小さい靴。その小ささに驚き、ゾッとした。恐ろしいな、美への欲望。特に纏足は本人が望んで身に着けるのとは違い、子供の頃から本人の意志に関わらず為されたものだしな。

纏足の素足は夫しか見れないんだって。父親もだめ。なにその決まり。。

 

今まで深く考えたことなかったけど、モードの進化というか、何を身にまとうかの変遷、そこに取り入れられてきた技術や思想というのが、薄っすら見えてきたというか。なるほどたしかに”狂気”だわとか、なるほどそことそこが繋がってたのね?みたいな。

モードにここまでつぎ込まれる偏愛っぷりに、私も自分の装いにもっと力を入れた方がよいのでは、と思った。(笑)

 

私の予備知識不足ゆえ、もう少し外堀を埋めないとはっきり見えてこない気がしているのだけど(私の中で)、新しい視点を教えてもらった。

 

展示全体はこちらで詳しく紹介されている。

東京都庭園美術館で「奇想のモード」がスタート。シュルレアリスムとモードに通底する「奇想」の系譜をたどる|美術手帖

 

 

感染症対策でまた閉まるなんてことがないように祈ってるけど、どうなるかね…。行こうと思っているなら早めがいいかもしれないね。

f:id:cocoirodouce:20220119093531j:image