アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

House of Gucci(ハウス・オブ・グッチ)

グッチファミリー、映画化にぴったり。なんとなく聞いたことがあったような気がする程度だったのだが、グッチファミリー、大事件起きてたのね。

 

house-of-gucci.jp

 

イタリアが舞台でイタリア人ファミリーの話でも英語で進むというのは、違和感はないですか?(そこか)

 

確かに、会話のちょっとしたところにイタリア語は使われていた。(アルドが乾杯する時だけフランス語だった)英語も、イタリア語風になっていた気はする。だがしかしなあ、やっぱ、物語に入り込むには言語大事だなあ。言語によって身振り手振りも違ってくるし。

 

俳優たちはすごい。レディ・ガガパフォーマーなんだなあ。ジャンル関係なし。抜群の迫力。ゴージャス。強い。最初のパーティーの場面なんか、ああ、彼女なら踊るのも誘うのもお手の物よなあ!となる説得力。対するアダム・ドライバーアル・パチーノもがっつり濃い。イタリアだしな。(笑)

 

しかし本編長いねこれ。その割に最後の方はあっさりしている。

そしてなんかいろいろ考えちゃう。時代、家族、愛、ビジネスやステータス。物の価値や伝統。

 

パトリツィアはきっとまわりからは財産目当てだと思われてただろう。実際そうだったのかもしれない。でも夫からさえ「グッチの名前は僕のであって君のではない」と言われるなら、だったらお金や名声にこだわったって文句言われる筋合いないのでは、という気もする。パトリツィアが求めてたのは、自分もグッチファミリーの正式な一員であり、経営に関わる能力もあると認められることだっただろうから。

 

グッチ経営者のアルド(アル・パチーノ)が「こんにちわ~」と日本語会話を勉強してるという設定が80年代。アジアへの展開の窓口として御殿場に出来るモールに出店を考えているというのが、時代だなー。日本がバブルで景気が良くてブランド物が売れまくっていた時代ということなんだろう。2000年代以降が舞台の映画だったら絶対にこうはならない。。

 

結局マウリツィオは何が得意だったんだろうな…。あと、パオロの扱いちょっと酷すぎない…?実際の人物像とはおそらく違うんだろうが。

 

 

本作とは全然関係ないのだけど、映画館で映画を観ているのにまるで自宅で観てるみたいに連れと喋る人たち、以前より増えてる気がする。空席率が高くてプライベート感が増してるのかなー。それとも自宅鑑賞が増えてその習慣を映画館に行っても引きずってるんだろうか。音立てる人も多くて。せっかく出向いてるのになあ。。