アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

国立劇場 歌舞伎『近江源氏先陣館-盛綱陣屋-』

千穐楽行ってきた。まさか泣くことになるとは。

【3月歌舞伎公演】『近江源氏先陣館-盛綱陣屋-』好評上演中、27日まで!(舞台写真あり)| 国立劇場歌舞伎情報サイト | 独立行政法人 日本芸術文化振興会

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盛綱陣屋、子供が犠牲になる話で、普段ならあえて選ばない話。なんだけど今回は菊之助さんの盛綱初役、吉右衛門さんを想わずにはいられないもので、行かない選択肢はなかった。

 

≪歌舞伎名作入門≫ということで、本編の前にわかりやすい説明付き。戦国武将とかに全く興味がない私のようなタイプにも親切。

 

私がこの手の話にシラーっとしてしまうのは、忠義だ家名だといって家族を犠牲にするのが受け入れ難いのと、その犠牲を”感動の素”にするのに抵抗があるからだ。我が子の命を犠牲にしたり、親子や兄弟の首実検をしたり。それを見て泣くのか??と冷めてしまう。

 

しかしこれが、今回は違って見えた。吉右衛門さんはこれを反戦の話だと言っていたとどこかで見かけた。その視点で見ると、これほどまでに苦しい選択をするほどに人々を追い詰める、それが戦争なんだと。

 

幼い甥っ子が切腹をするように説得を祖母に頼むとか、はあ??ってなるじゃん。どういう理屈だよと。狂ってる。人を狂わせるのが戦禍の理屈なんだよな。

そしてあんな多大なリスクを負い生命の犠牲を払っても、実はトップは部下を信用していない。そういうことなんだよな。エライ人が戦いを始めて、部下やその家族の多大な犠牲の上に戦果を挙げてるのに。

 

その理不尽が伝わるのは、菊之助さん演じる盛綱の実直さ誠実さがあるからで、さらに丑之助くんの小四郎が、よくある子役の域を超えてて恐ろしく胸を打つからだ。

なんであんな幼い子供がそこまでしなくてはならないのか。武家に生まれなければ、戦がなければ、どんな生活をしてただろう。そう考えずにはいられない。

 

毎日毎日、現在進行中の戦禍の悲惨さを伝えるニュースに囲まれている今、過去に観た舞台の時とは私の精神状態が違っていて、”反戦の話”としてめちゃくちゃヒットしてしまった…。ちょっと、動揺がなかなか収まらず、だった。我ながら驚き。

 

通常、私は子役にもあまり心動かずで、というのもなんか”反則技”というか、未熟さ、幼さ、健気さみたいなものですべて無効化する効果があるじゃん(笑)

しかし丑之助くんは、二月歌舞伎座でも凄いと思ったけどそれを悠々と更新してる。この小四郎役はかなり難しい役で、それをここまで演じてくるとは、子役というかすでに自覚のある役者である。時代、家名、武家といった本人たちにはどうにもできないことによって人生が狂う理不尽、戦争の理不尽を、小四郎が否が応でも見せつける。

 

こんなに古い話で、設定も古いし感覚も違うのに、こんなに揺さぶられるとは。「やっぱこの手の話はな~」ってなるかと思ってたのにまさかの展開。世界では色々なことが起き、変わり、自分も変わるのだ。

 

そしてこういった芝居を、単にカッコいい、可愛いなどと愛でて終了させてはいけないのではないかとも強く感じる。ヒーロー扱いするとか、犠牲を美化するとか、そうやって”消費”してはいけない、そう思っている。そこは譲れない。

であるので、「そこで拍手する!?」ともなる。私はここでは拍手したくない、そう感じたとこが何か所かあった。役者への称賛の意志表示であったとしても、拍手は抵抗を感じる。

 

あ!菊之助さんサイン入りブロマイドが当たりました!!!

わーいうれしい。どうやって保管しよう。

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