なんという悲哀、なんと愛おしい。最後の最後まで洒落ている。
1981年初演だというからさらに衝撃。
この作品を理解して味わえたとはとても言えないのだけど、ざわざわと起こる不穏な波が寄せては返すって感じで、これは後々まで残るなあと思いながら書いている。
言語として聞き取れたセリフは最初の方と最後の、
《Fini. C'est fini. Ça va finir. Ça va peut-être finir.》
だけで、それ以外は特定の言語ではなくて身振りとしての発声という感じ。そもそも始まって早々に「終わり」って??となった。
台詞を多用するダンス作品は私はあまり好みでないのだが、それはダンスという身体表現なのに特定の言語に頼ったり縛られたりするのってなんだかなあと思うから。
本作はダンスと演劇の間のようであり、色んな妄想が膨らむ。これは古くならない。
終わり。終わりだ。終わる。たぶん終わる。
器用には生きられない、"普通"からは外れた人たちの、"普通"の世界への再出発なのかな…生き返って、やり残したことを、もう一回やってみるか、せっかくだから、みたいな。ゆるく、そして後ろ向きでなく。
しかし生きていくというのは本当にめんどくさいことがいっぱいあって、誰かがいることで救われることもあればどうしようもなく嫌になることもある。他者との関係がどんなに面倒でも完全な独りぼっちでこの先生きていけるかと言うとそれはきっと無理。
ほんと大変よねえ。。なんとかやっていかねばね。。
ダンスは鍛え抜かれた芸術的身体が見どころのひとつでもあると思うのだが、本作ではむしろそこを敢えて隠して、それゆえ誰でもそこにいそうな、なんなら自分に近いものを見出しやすいのかも。そしてそれだからこそなんだよそれ…という感情も呼び起こすかもしれない。老い、ままならない身体、自己中な振る舞い、鬱陶しさ、寂しさ、などなど。
出演者の多様さが印象深かったのでカンパニー・マギー・マランのサイト見てみた。
年代も出身も様々なのね。まさしく世の中の現実を反映している。
そして『May B』はかなりたくさん上演されてる。フランス国内はもちろんヨーロッパ、それ以外でも多数。それだけ時代も国や文化も超えて響く作品だということなんだろう。
それにしてもまだまだ学ばねばならぬことがたくさんあるな!!世界にはまだまだ知らない、理解できないことがたくさんある。ちょっとずつでも知って、それらが繋がる楽しみ。そういうことを思い出した。
※翌日の追記
近所を散歩していたら、ご老人が1人、まさしくあの歩き方で歩いていたの!『May B』は日常の中にある。