アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

No Time to Die(007 ノー・タイム・トゥ・ダイ)

延期延期からのやーっと公開された007の最新作。みたよー。

(ネタばれとかはないです脱線しまくってるので)

 

www.007.com

 

現代のボンドの映画としてよくできてるなーと思った。

というのも、シリーズの過去作見るとびっくりするような話や演出の連続なので。もちろん当時としてはそれが許されていたわけで、人々の感覚や世の中の雰囲気は、すぐには変わらないように見えても確実に変わってきたのだなとわかる。

 

話はそれるけど、少し前にヒッチコックの『裏窓』(1954年アメリカ)を再放送していて見てみたら、ムリー!!!ってなる要素がいっぱいで驚いた。自分の感覚の変化に。

主演ジェームズ・スチュアートはどう見ても中年のおじさんなんだが(公開時46歳)、その恋人は輝きまくっている若きグレース・ケリーが演じている。2人の実年齢差21歳。(気になって調べた)なんなら親子でもおかしくないキャスティング。恋人間の会話も、ふざけんなおっさん何様だ、と私なら他人事ながらキレてしまいそう。今なら作るの無理だよね、という作品は、いくら名作であっても、ある。(※年齢差間違えてたので修正しました)

 

ボンドシリーズも、第1作が1962年。ショーン・コネリーは大人気だっただろうけど、先日チラ見したらマッチョ全開でむしろきもいくらいだった。。。

作り手側に中高年男性が多いから、自分たちの願望が反映されてるんだろうなーと思っちゃうよね。男性は歳をとっても魅力的で、若い美女にモテて尊敬されて、みたいな。女性監督だったら作らないと思うのよね、やっぱり。

出演している俳優本人が悪いわけじゃないけど。以前はああいうキャラ設定が人気だったというのだから、世界は変わっているのだ。少しは良い方向に。

 

現代の感覚の観客に対してボンドのキャラをどう設定するかは、シリーズ過去作からすると難しかっただろうなと思う。ダニエル・クレイグ主演第1作が2006年だから、それから15年。現代化したボンドだった。

 

現実味のないほどに色々超越してるボンドと、一人の人間としての生活があるボンド。そのバランスを取るのは難しいんだろうなと思った。私は本作では少し、”人間味”側への振れが大きすぎるようにも感じた。これは意図的なんだろうけども。クレイグ最終作だし。

 

日系アメリカ人のフクナガ監督だからなのか、能面とか畳とか日本のアイテムが登場したり、島の「工場」の描き方にも「外から見たアジア」的なものを感じた。

俳優や取り入れてる要素の幅が広くて、ボンドシリーズのように世界中で多数の観客に見られる作品はこうでないとね。

 

ダニエル・クレイグが新しいボンドになった頃、なんかイメージ違う、と思った。でもそこからの5作ですっかり現代のボンド像は彼になった。俳優によっては「古き良き」みたいなのを追い求めた可能性もなくはない。なんせボンドだから。でもそうじゃなかったんだよね。よい。

 

※その後調べたらダニエル・クレイグとレア・セドゥの年齢差は17歳だった。これもまあまあでかい。エヴァ・グリーンとは12歳差。

 

新たな登場人物などに対してポリコレだなんだという人もいるかもしれないけど、ポリコレ上等である。

現実世界を反映しない映画なんか、私は観たくない。「俺は・私は全然気にならないのにうるさい人がいるから」と思ってる人がもしいたら、新たな設定を大いに気になって頂きたい。なぜ気になるのかとじっくり考えてみるといいと思う。

 

本作でひとくぎりのボンドシリーズが今後どうなっていくのか。次はどんなボンドが登場するのか。楽しみだな。

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