前作≪I, Daniel Blake≫(わたしは、ダニエル・ブレイク)でガツンとやられたケン・ローチ監督の最新作。
今回もやはり人間の尊厳について考えさせられる。
そして前作に増して救いがない…。
働いても、努力しても、個々の力ではどうにもならないことが世の中には多々あり、持てる者と持たざる者の差は増々広がり、残されたわずかな尊厳すら保つことが難しい人がたくさんいる。
それは個々の努力不足のせいなんだろうか?
能力不足と責められるべきことなんだろうか?
ケン・ローチ監督が描いたリッキーもアビーも、必死で生きている。胸が痛い。本当に痛い。そしてこういった状況が自分には降りかからないとなんの不安なく暮らせる人がどれくらいいるだろう。
人が人らしく、自分らしく生きること。その難易度があまりに高い。
監督は”個人事業主”という名の元に搾取され続ける労働者の姿、それを大きな問題として告発している。非常に”いまどき”の問題で、83歳の監督がこの状況に怒りを感じていることが伝わってくる。
そして搾取され切ってしまっているリッキーにはまともな判断力は残されていないのだよね、日々に疲れ切ってしまっていて。坂道を転げ落ちていくしかないという。。”一家の大黒柱”として必死に頑張ろうとリッキー自身が選んだとはいえ、救いがない。結果的にはその思いこそが元凶でもあったとも言えて、それがまた救われない。。
そして訪問介護士として長時間働くアビーの働き方の残酷さと同時に、アビーの”クライアント”側も、辛かった。誰でも歳は取る。高齢になれば自分でできなくなることも多々ある。それをどう受け入れていくか。自分にはできるだろうか、などと考えてしまった。
しかしケン・ローチ監督のこの、現代社会の問題を糾弾する姿勢、さすがである。
で、作品とは別に邦題についてなんだけど、私は「家族を想うとき」みたいな情緒に訴えるみたいなタイトルは納得がいかない。ま、邦題あるあるだけど。