アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

パリ・オペラ座バレエ団来日公演2024『マノン』2/18(マチネ/ソワレ)

とうとう来てしまったパリオペ来日公演最終日。

 

2024年2月18日13時30分

マノン  リュドミラ・パリエロ
デ・グリュー  マルク・モロー
レスコー、マノンの兄  フランチェスコ・ムーラ
レスコーの愛人  シルヴィア・サン=マルタン
ムッシューG.M.  フロリモン・ロリュー
マダム  ロール=アデライド・ブコー

 

いやはや。リュドミラもマルク・モローも素晴らしくて。エトワールって本当に、みんなそれぞれがそれぞれに芸術家。

 

リュドミラの美脚はマノンにぴったり。マノンの美しい脚に魅せられ執着するムッシュGMという振付も大納得である。全身から発せられる音、完璧な足先、知的で賢いマノン。

対するマルクモローのデ・グリューは端正でいかにも神学生な雰囲気で、でもマノンに対してはめちゃくちゃ熱い。

この世の中を生きていくにはお金が必要だと身に染みてわかっているマノンと、お金なんかより愛だけが大事だと猛進するデ・グリュー。そこが不幸の始まり。。。

 

一幕の寝室の多幸感と、同時に冷静さを感じさせるリュドミラマノン。兄レスコーとのやりとりもどこか自然。

そういえばこの回だけの配役だったフランチェスコとシルヴィア、とてもよかった。他の回では感じられなかった自然さや存在感があった。1回だけだったの本当に残念だ。もっと観たかった。

 

二幕のリュドミラ圧巻で、黒ドレスのソロからあの男たちの間を浮遊していく流れ、素晴らしかったなあ!身体で語る、全身で音楽を語る、その身体性と音楽性、技術的な確かさなどが見事に調和して、あの場面になる。うぅぅ、泣く。

 

沼地のPDDはひたすら泣いた。なんというドラマ。

 

今回の配役、ムッシュGMにフロリモン、看守にラヴォーくん、兄にフランチェスコ、愛人にシルヴィアととてもよくて、どうしてこの組み合わせもっと出さなかったのかと不思議。兄レスコーが大事なのはもちろんだけど、まわりも大事。

 

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波立ちまくった心をなだめつつ、ソワレへ。

 

2024年2月18日18時30分

マノン  ミリアム・ウルド=ブラーム
デ・グリュー  マチュー・ガニオ
レスコー、マノンの兄  アンドレア・サリ
レスコーの愛人  エロイーズ・ブルドン
ムッシューG.M.  フロリモン・ロリュー
マダム  ロール=アデライド・ブコー

 

さて。なんと言ったらいいものか。アデューを間近に控えたミリアムと、ほぼ同世代のマチューによる、フレンチスタイルによる『マノン』完成版の一つの形。

おそらくコンディションは万全とはいかなかっただろう。しかしマクミランの演劇バレエをパリオペがやるとこうなりますという姿に、なんとも胸がいっぱいになった。

ふたりとも最後の『マノン』を日本で踊ってくれてありがとう。ひとかけらたりとも忘れたくない。(思い出してまたジーンとしている)

 

一般論として、マノンを”ファム・ファタール”だという言い方、私は好きじゃない。だって結局原作にしたって当時の時代背景にしたって、マノンに勝手に価値を見出してちやほやしてるのは男たちだ。あの時代のあの状況で、「愛か金か」を男が女に迫るなんて勝手にも程がある。勝手に魅惑されておいて「ファム・ファタールだ!」はないだろう。

そしてあからさまな階級社会であって、乞食か娼婦になるしか生きられない人たちがいた。それでも強く生きていた。しかしそれも権力者の一存によって簡単に破壊されてしまう。それがバレエ『マノン』でも描かれている。

 

ミリアムマノンとマチューデグリュー。若くて美しい二人が出会ってしまったこと自体が不幸の始まりだったのだ。とにかくマチューが美しすぎる。あんな目で訴えられたら抗えない。ミリアムの無垢な16歳マノン、その純粋さゆえに、後の不幸を思って胸が痛んでしまう。あまりにも幸せな時間、幸せすぎるがゆえに壊れやすい。

 

二幕、男たちの間を浮遊するマノン。心を無にしているように見えた。この場にいる自分はもはやかつての自分ではない。デ・グリューと出会ったときの自分とは別人なのだ。そう思わなければこの場にはいられない。

その周りを所在なげに、マノンを見つめながら歩き回るデ・グリュー。一幕寝室のPDDでの幸せの最高潮から一転して裏切られたのだからかわいそうではあるんだけど、もしも、もしもデ・グリューがもっと世間を知っていて、あんなゴージャスな宝石やドレスは自分には手に入れられないと身を引いたら、その後のそれぞれの人生どうなってただろう。もちろん、マノンが生き延びたとしてそれがどんな暮らしだったかどうかはわからないが。

 

マチューの、あの怒りと悲しみを湛えた目というのは、これはもう本当に、雄弁で唯一無二の美しさで説得力があって、それゆえにマノンは不幸になってしまう。なんて罪な男なんだマチューデグリュー…。

 

三幕PDDはあまりにも辛く、マノンの命だけでなく公演の終わりが近づいていることにも胸が痛く、生の舞台とはなんと儚いものかと悲しくなった。キャリアの終わりを迎えようとしているミリアムとマチューによる渾身の舞台。ベテランダンサーたちの生き様が現れた舞台に、私はとても弱い。

 

兄レスコーは若手サリが粗野でがさつな感じのレスコーを演じていたが、ここはもうちょっとよい配役があったのではないか。彼には彼の良さがあるとは思うけど。ミリアムにはミュラの方が合ったりしない?そしてパブロが一回で降りてしまったので、パブロでも観たかったな。

愛人のシルヴィアの、ムッシュGMに対するあの踊り方がとても好きで、いつもなんとなく気を抜いて観てる愛人の踊りなんだけど、シルヴィアの回は魅力的だった。(ロクサーヌのは観ていない)

 

実は今回ドロテ・ユーゴ組というファーストキャストを観なかった。私はこれまでどうしてもドロテのこれみよがし感というか、なんか気になっちゃってダメなのよね。ユーゴと組むことが多すぎてそれも気になるし。感想を見るととても良かったみたいなので、見比べたかったような気がしないでもないけど。でもまあ、これまでの入り込めなかった自分を知っているので、今のところ後悔はしてない。

 

ミリアムだけでなく、ドロテもリュドミラもアデューが遠くないので、3人ともこれがきっと最後のマノンだったはず。マチューもきっと最後のデ・グリューだったよね。

 

今回の来日公演、白鳥4回、マノン3回、計7回観た。前回は6回だったので最多更新してしまった。しかも今回は今までより良席にこだわったので出費も最多更新してしまった!後悔はない!

 

ヌレエフ版『白鳥の湖』とマクミランの『マノン』を続けて観て、パリオペのダンサーたちの能力の高さを再確認したし、今回はキャストもいろんなダンサーを配置してくれて、初めて見るダンサーも多かったし、コールドの若手も認識できた。

 

そして作品でいうなら、やっぱりヌレエフ白鳥最高だなーってなったし、やっぱり『マノン』はあんまり好きじゃないかも…となった。

あらためてヌレエフ版白鳥の構成のち密さや複雑さ、難易度の高さを確認し、そしてそれを踊りこなすパリオペのダンサーたちのレベルの高さを見せてくれた。とても満足。

それに比べると『マノン』は、ダンサーたちの演劇的要素がたくさん見られる一方で、踊りに関しては特にコールドは割と単純というか、主役のリフトなど見せ場はあるけども、全体としては雰囲気重視というか、まあそれも魅力ではあるけどね。そして舞台がフランスものをやらせたらパリオペは格別というのもあらためて見せてくれた。

 

日常生活に戻るにはまだちょっと時間がかかりそうだけど、マノンと共にルイジアナの沼で息絶えた我々、がんばって生きていこうね(笑)

 

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