アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

パリ・オペラ座バレエ団来日公演2024、その余韻

パリオペが東京にいた2週間、濃厚だった…そして祭りの後の寂しさ。脳内ではマノンの黒ドレスのワルツがぐるぐる。

公演中に思ったことを覚えているうちにメモっておきたい。というのも今回コール・ド・バレエがとても良かったので。

 

ヌレエフ版の『白鳥の湖』は男性コールドの活躍の場面も多い。特に一幕はきっとめちゃくちゃハードで、あれを連日、時にはマチソワ踊るというのは相当に重労働なのではないかと想像。

今回の来日メンバー、おそらく若いダンサーも多くて名前と顔が一致しない人も多々いたのだけど、コールドの主要ポジションにはちゃんとベテランが配置されていて、あの男性群舞を引き締めていたと思う。ジョゼ監督の采配よね。

特にミリアムと同世代のシリル・ミリティリアン、彼はインスタでもよく見ていることもあって、1995年に初めて日本公演(学校公演かな)で来てからおそらく今回が最後になるだろうけど、たくさん観られてよかった。他にもフロリモン・ロリュー、ダニエル・ストークス、ファビアン・レヴェイヨン、ヤン・シャイユら。

バレエにおいてコールドの重要さというのが本当のよくわかる。複雑な振付や隊形をこなしながらあの舞台上の統一感。はんぱない。

あと踊っているアルチュール・ラヴォーを久しぶりに観られたこともよかった。エトワールを目指せる時期にケガをしてしまって、それ以来キャラクター的な配役も多く、ガンガン踊っている印象がなかった。今回は一幕のパ・ド・トロワ、三幕のスペインを踊ってたので、配役次第なのだな。『マノン』での看守も、ああいう役は若手には難しい。

若手だと、おおあれがエンゾくんか、と目を引くものがあったけど、どこかで読んだけど、ジョゼ監督からはもうちょっと真面目にやるようにと言われたようで(AROPの受賞の時かな?)、持って生まれた恵まれた身体や才能を活かすための継続的な努力が課題なのだろうな。他の人ほど努力しなくてもある程度できてしまう人というのはいて、そしてそれでいいと思ったらそこで終わりなんだよね。性格も大事。

 

女性のコールドは白鳥でその実力と迫力を存分に見せてくれた!あれだけのまとまりと、連日気合の入ったやっつけでないコールドというのはなかなかないのでは。(私がロシア系に冷めてしまうのは「仕事ですから」がめっちゃ出てるからというのもある)

白鳥たちの中でも目立っていたのがカン・ホヒョン。美しいラインと音楽性でつい目が行ってしまう吸引力がある。カミーユ・ボン、ビアンカ・スクダモア、オーバーヌ・フィルベールあたりが並ぶと、個々の良さ美しさに加えて、集団としての強さ野心みたいなものが見える気がした。白鳥としても、ダンサーとしても。それぞれが主役を踊ってももおかしくないレベルだもんね。そりゃ迫力も出るというもの。

そして24羽の白鳥の、ちゃんと一人ひとりが人間であった感のある踊りというのが、私はとても好きだ。ちゃんと内に秘めた物語があるというか。怨念があるというか。

白鳥のコールドって、やもするとマスゲーム的な統一感を目指してそうなバレエ団や、それを”揃ってる”と褒める観客という図があると思うのだが、何度も書いてることだけど、ミリ単位で揃えることにまーーーたく価値を感じない私が求めているのは今回のパリオペ白鳥のようなコールドである。

あれをやるには、まず、ダンサーひとりひとりがちゃんと大人でなければならない。今回のパリオペメンバー、若いダンサーもいたと思うけど、幼さ未熟さを”魅力”とするような人はいなかったはず。実年齢の問題じゃないんですよ。そしてメソッドとしての統一感、同じ音楽を聴いて同じ呼吸で踊る。よく見ればダンサーらの身体条件はそれぞれ結構違うし、骨格も髪の色も様々よね。しかし生まれる統一感がどこからきているのか。そして日本のカンパニーはコールドバレエに何を求めているのか。考えなければいけないテーマなのでは。

 

これすごく難しい話なのはわかっていて、フランスという国に雇われているパリオペダンサーの社会的地位と、アルバイトしながらチケットノルマも抱えつつ舞台に立つ日本の多くのダンサーを同じ基準で評価できるのかという話でもあるし、未熟さや幼さが”魅力”とされたりそれを防御手段として使うのが処世術であったりもする社会で生きている人と、そうではない社会で生きている人の違いであったり、舞台芸術をとりまく環境の違いであったり、単にカンパニーやダンサーのレベルでどうにかできることでなかったりするので、変われるかというと、無理なのかもしれない。社会の問題でもある。集団のために個を犠牲にすることを美談にしがちだとか、そういった社会の持つ認識の違いなども。

で、私はたまたまパリオペから見始めてパリオペが基準だけど、日本のカンパニーが好きでその個性を気に入っている人もいるだろう。

ただそういう様々な要素によって、白鳥のコールドやマノンの娼館での差が出るのだと私は考えている。また、マノンという役の女性像にも影響は大きいだろう。(新国で観たときの衝撃。。)

 

それにしても前回来日からのこの4年でずいぶんパリオペのダンサーも多彩になった。白鳥の主役をアジア人のパクさんが2公演も務めたなんて、きっと10年前だったら信じられないことだっただろう。新エトワールのギヨームくんは黒人初のエトワールと言われているけど、パクさんもギヨームもその実力で文句を言わせない。ちゃんと実力で評価されている、ということがカンパニーとしても重要だと思う。そして観客側も、ダンサーの踊りの素晴らしさをちゃんと観て行こう。

 

思い付きだけど、コールドが良かったのってプルミエ/プルミエールへの昇進がコンクールではなく任命制になってるのもあったりするかな。スジェのクラスが一番多忙な気がするのだが、コールドの主力だから毎日踊らなきゃいけないし、その中でソリストの準備もする。日々の準備と舞台をジョゼ監督が観ていてそれを根拠に昇進させるのだから、きっと気合も入ることだろう。今回の白鳥コールドではそういういい意味での緊張感がよい効果になっていたのかもしれない。

 

いいパフォーマンスを、ちゃんとわかってくれている観客だ、というのはこの先もパリオペが来日してくれるかどうかに大きな影響があるだろう。日本が相対的に貧乏になってきているのでチケット代は高くなる(日本人にとっては高く感じられる)し、好条件を提示したアジアの他国がでてきたらそっちに行く方がいいやって思われてしまうかもしれない。

今回、一番安いカテゴリでも1万円だったと思うのだけど、これは高すぎるよねえ。1階全部がS席というのも設定がおかしいし。1階席の中で3段階くらいカテゴリ作っていいいと思うし、最良席はプレミアシートとして高値をつけていいと思う。その代わり、見切れるところは安く、遠ければ安く、としてほしい。

若い人、初めて観てみようと思う人が買える値段でないと、バレエ観客の高齢化でいずれ減っていくので…。

 

そして今年は世界バレエフェスティバルもある。私は今回のパリオペにだいぶ資金を投入してしまったので、他はいいかなあという気分。そもそもお値段でびっくりしたよね!ガラ36000円!

パリオペのチケットを買う人も、バレエフェスのチケットを買う人も、ほぼ同じ人だと思うのよ…大変だよ…。祭典会員なのでAB1回ずつは観に行くけども。そしてパリオペからの出演者も、いまのところあまり惹かれておらず。。マチアス呼ぶならミリアムも呼んでよ。。

そういえば最終日にミリアムにだけ花束を渡していたのはもうすぐアデューだからということだったんだろうか。

 

やっぱりパリオペ好きだー!というのと、パリオペのような世界最高峰を観る機会というのが今後国内では減っていってしまうんだろうなという憂いと。バレエを観て思うことはさまざま。