原作はカミーユ・ロランスの小説『Celle que vous croyez』、サフィ・ネブー監督による映画化。
なんとなく、”孤独な中年女性の危機”、”SNSにはまって転落”みたいなありがちな話かなと思って観てたんだけど、そう単純でもなかった。
50歳のクレールが24歳のクララと偽ってSNSを始める。それ自体は珍しい話じゃなさそうだけど、クレールの壊れっぷりは怖い。遊びでは済まない。その闇が深すぎて、どこまで心が壊れてしまうかと見てて不安になる。リアルの生活が、嘘に浸食されていく様が怖いのだ。
過去の痛手から立ち直りたいけど、立ち直るために直視する準備はまだ出来ていなかったのだよな…。
大学で教え、息子も2人いて、それでも年齢がクレールにとってずっしりと重しとなっている。序盤に、若い年下の男性と付き合う女性を「クーガー」と呼ぶけどじゃあ逆は?若い女性と付き合う男性のことはなんて呼ぶの?という友人たちとの会話があるけど、まあ、いまだに非対称だよね。
クレールの創作が現実であったなら!
そういう選択肢があったなら!そちらを選べていたなら!
自分の状況と距離があって共感するのは難しいのだけど、誰でも歳をとり、過去が増え、傷も増え、若さや未来は減っていく。その現実は誰しも変わらない。
しかしこの、"もう若くない自分"の焦燥感や迷走という話は映画で結構見かける気がするのだが、リアルでも多い話だからなんだろうか。ステレオタイプじゃなくて。逆に邦画ではあまり無さそうだが。
作品とは直接関係ないけど、やりたいことは先延ばしせずにどんどんやっておかないとな!と痛切に思っている。逆にやりたいくないことは後回しでいいよ。(結構本気で言ってる)
今のこの時が大事。