アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

A Hero(英雄の証明)

ハラハラしたりイライラしたり、最初から最後まで非常に緻密に作られていて観終わったら疲労していた。

synca.jp

 

「英雄か、詐欺師か」

そんなにくっきりきっちり分けられる人間なんているんだろうか、という気がしてきた。

 

主人公ラヒムは、元妻の父親に借りたお金を返せず訴えられて服役中。暴力犯罪の服役ではないからなのか、休暇があってたまに刑務所の外に出られる。外には婚約者がおり、彼女は金貨の入ったバッグを拾っていて、2人はその金貨をラヒムの借金返済に充てようと考えていたわけだ。

 

意気揚々と刑務所から外出するラヒム。が、路線バスは目の前で行ってしまい乗り損なう。ラヒムたちの計画はもうその時点から狂い始めてたのかも。なんとなく象徴的。何もかも噛み合わない感じ。

 

名誉を重んじるイラン社会。家族の名誉も大事。何かあれば、家族の名誉にもなれば恥にもなる。

 

司法制度、家族関係、地域社会の雰囲気や掟のようなもの、それらは国や地域で違うけど、SNSの存在感というのは、今は世界の大半で共有できる感覚なのでは。どんな社会においてもSNSによって持ち上げられたり落とされたり、差別や暴言をまき散らすなどがあるだろう、SNS使ってる限り。

 

金貨を売ろうとお店に持ち込むも、やっぱりやめる。そしてバッグの落とし主を探すことにする。刑務所に戻っていたラヒムのところに持ち主だという女性から電話があり、バッグを預かっていた姉がその女性に返す。よかったよかった。とはならず。

 

ここからの展開が本当に盛りだくさんで、カギを握る人物がたくさんいる。それぞれが”信用”や”名誉”を語り、それらのために、それぞれの立場で奔走する。

 

ラヒムが追い詰められているのは確かにそうなのだが、だからといってそれは…、ということがいくつもあり、だけどそれが人間の弱さであり、二面性であり、善でいるために悪にもならざるを得ないとか、誰にも起き得る複雑さなんだと監督は思ってるんだろうな。

 

ラヒムを演じるアミル・ジャディディの演技が巧みなのよ!善人に見えたと思ったら噓つきのダメ男にも見える、その両方がリアルでハラハラする。というか、見ているこちらも与えられる情報によって同じ人物なのに善にも悪にも見えてくるという、情報に左右される心理を体感したのかもしれない。

 

個人の体験としてイスラム圏でのあの独特の空気、他人との距離感、絶妙に鬱陶しいところなどが思い出されて、あの独特の圧力には正直あまりいい思い出ではない。(イランにはぜひ行ってみたいのだけどハードル高くてまだ行けてない)

 

何を優先するか。選択を迫られた時に何を守り、何を諦めるか。そういった価値観について考えさせられる。

 

イランの監督の作品としてはつい先日観たこちらも濃密でいい映画だった。こちらも司法制度や刑務所が出てきたなそういえば。この作品が女性の生きづらさだとしたら、『英雄の証明』は男性の名誉の重圧なのかも。

cocoirodouce.hatenablog.com

 

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