アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

The Duke(ゴヤの名画と優しい泥棒)

くぅー、いい映画作るなー、となった。

 

happinet-phantom.com

 

ロジャー・ミシェル監督、昨年亡くなったのだね。。素敵な映画をありがとう。滅入ってた気分がぐっと上向きました。人、社会の良い面を思い出させてくれた作品。

 

権力と上流階級への疑問と抵抗、声が小さく社会の中でないがしろにされがちな人々の側に立って声を上げるケンプトン。実在の人物だというのだから驚く。

イギリス映画でこういった一般市民の中にある心の崇高さみたいなのを描いたもの、『クーリエ 最高機密の運び屋』もそうだったなーと思い出した。どちらも実話をベースにしている。

 

ケンプトンの人物像、ほんとイケてる(笑)。ユーモアがあり、口が立ち、権力に対しても怖気ずひょうひょうと立ち向かい、差別を見て見ぬふりをしない。私があの立場で、自分の仕事を失っても他人が受けた差別に声を上げられるか。そうでありたい。でも自分の生活を守るために泣く泣く妥協するというのも、現実には大いにあり得る話だろう。

 

ケンプトンと妻ドロシーは娘を亡くした辛い過去がある。やりたいようにやるケンプトンと、常識人のドロシー。ドロシーのその姿というのは、乗り越えられない悲しい思い出があってのことなんだろうなあ。正しく、慎ましく、真面目に暮らしていくことがドロシーにとっての心の鎧。同じ不幸を分かち合う夫婦も、その対処方法は全然違うんだよね。。

 

裁判の場面は魅せる。ケンプトンの言葉、弁護士の言葉が胸を打つ。傍聴席で見守る家族や友人たち、陪審員たちの様子も見逃せない。

 

ナショナル・ギャラリーからゴヤの「ウェリントン侯爵」が盗まれたのが1961年。戦争を経験し、歳をとり、社会から孤立を深める高齢者たちの助けになりたいケンプトン。階級社会の中での分断や、世代間の分断、変化する社会などが背景にある。

 

分断は現代にもあって、こんなにも分断が深かったのかと、SNSなどで可視化されたことによってその深刻さを目の当りにしている絶望感もある。

 

そんな中でも私たちはケンプトンになれるだろうか。あなたがいるから私がいる、私がいるからあなたがいる。そう言えるだろうかと、自問自答。

 

戦争のような大きな争いも、コミュニティやSNS上での問題も、ケンプトンが必要なんだろうなあ。。。人間の良き面を正面から語り、体現し、まわりの人々の心を動かす。

 

むしろその逆を地で行くような人物が目立つ昨今。変わりたいね。

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