アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

Haute Couture(オートクチュール)

hautecouture-movie.com

 

モンテーニュ通りのラグジュアリーブランドとバンリューのアラブ系若者という対比。ありがちな設定よねと思いつつ観てきたよ。(笑)

 

ナタリー・バイ演じるベテランお針子エステルがもう最初の場面から病的で、ストレス抱えてるんだなーというのがわかる。駅でバッグのひったくりに遭い、その仲間だとわかってるのに手先の器用さを見込んでジャドを見習いに迎える。

 

そんなのあり得るんだろうか。(笑)

 

ディオールとは言ってもお針子は裏方であり、決して金銭的に恵まれてるというわけではないのだよね。ジャドがエステルにずけずけと言ってたけど。その辺りは富裕層を相手にしているハイブランドのビジネス形態への批判とも思えた。超一流のメゾンで超一流の素材を使って世界最高級のドレスを縫うアトリエを統括しているエステルも、自宅はパリまでRERで通う郊外だし。(郊外の庭付きのおうちも素敵だけどね)

あれほどの腕を持つエステルも、ひとりの人間としてはいろんな問題や弱さを持っていて、考えてみればそれは当たり前で、傍から見たらスーパーウーマンのようでも内にはどんな暗い面を抱えているか、人はみんなそういうものなんだよな。

 

ジャドはサン=ドニの団地に住んでいる”典型的な”移民系の若者として描かれる。ジャドは母親の世話をせざるを得ず、あれは母親による共依存というか、娘を手元に置くための行動というか、ジャドはヤングケアラーだったんだよね。そこから新しい生活への飛翔。ジャド役はレナ・クードリ。彼女を映画で見るのはもう3本目だな。

ジャドの親友や仲間たちもそれぞれに苦悩があるわけだけど、それでも互いに連帯し、強く生きていくっていうのはよいところ。自分たちへの偏見の内面化のようなものも描かれてたと思う。

様々な背景を持つ人たちの集まりであるフランスは、現時点では決して理想郷とは言えないけども、「差別や偏見の存在を認める」という大前提はある。存在を認めないことには差別も偏見もどう失くしていけばいいか議論さえできないからね。(日本の一部でよく見かける現象)

 

全体的に、設定も展開もベタなんだけど、たまにはこういうベタなやつ見たいのよ。今の世界情勢とかネット環境での醜悪さとかで疲弊してしまっていて。あえてベタな可能性にかけてみたよ。

結果、ベタとか言いつついろんな要素が詰め込まれていた。

 

あー、パリに行けるのはいつになるだろうか。恋しい。

f:id:cocoirodouce:20220407215900j:image