アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

Anatomie d'une chute(落下の解剖学)

久しぶりの映画。

ジュスティーヌ・トリエ監督作、これ去年のカンヌのパルムドール受賞作だったのね。

gaga.ne.jp

 

人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。
はじめは事故と思われたが、
次第にベストセラー作家である
妻サンドラに殺人容疑が向けられる。
現場に居合わせたのは、
視覚障がいのある11歳の息子だけ。
証人や検事により、夫婦の秘密や嘘が暴露され、
登場人物の数だけ<真実>が現れるが──。

 

うまく作られてる。最初の場面ですでにちょっとイライラさせられるのよね、爆音の音楽と話題をずらし続けられる会話によって。サンドラに対して負の印象から入り、彼女が夫を殺したのでは?と疑う側の目線に自然と立たされるような。

 

サンドラはドイツ人で、夫はフランス人で、夫婦間の会話は英語。住んでいるのはフランス。ロンドンから引っ越してきた。視覚に障害のある息子ダニエルがいる。

 

自宅山荘の3階から落ちて死んだ夫の死因は、事故なのか自殺なのか殺人なのか、サンドラが被告となった裁判の法廷でのやりとりが多く描かれる。

事件の捜査、その後の裁判における様々な証言によって、サンドラたちの”リアル”が公の場にさらされていく。

 

サンドラはよくあるいわゆる”女性らしさ”で他人から好印象を得ようとしたり、泣き叫んでみたり泣き落としを試みたりするタイプではない。さらに、不倫していたことなどで”正しい母親像”からも遠い。それゆえに、もし実在したら、きっと世間から有罪扱いをされるんじゃないかと思う。(例:ワイドショーにおいて同情を誘うタイプからほど遠い)さらにサンドラの場合、外国人がフランスで裁かれるという不利もある。

 

そして終盤に法廷で流される、事件前日の夫婦喧嘩の録音音声。ここで語られている内容というのは、あれを聞いたらもう、私からしたら夫は自殺一択である。妻があの夫を殺す動機がない。サンドラの直球が刺さりまくってしまった結果だ。(全く同情しないが)

 

あの場面で夫が妻に投げる言葉の根底にあるのは、「なんで男の俺が」「俺は男なのに妻の方が仕事で成功しているのは納得がいかない」みたいな、そういうゆがんだ被害者意識だし、監督は意図的にそれを描いたと思う。夫の仕事のために妻が自分の仕事ややりたいことを諦めるだとか、妻の方が子供や家の世話に大半の時間を費やす、なんていうのは「当たり前」として受けとめられていて、それゆえに、男性は逆の立場になった自分を受け入れるのが難しい。たぶん、夫婦が仮に完全に半々だとしても(半々の判断もその実現も超難題だけど)、男性側からすると「自分が譲っている」になるんだろう。ほんとは8:2とか7:3であっていいはずなのに!という。

 

夫が妻に求めるもの、妻が夫に求めるもの。夫婦の関係では何が”普通”で、そもそもなんで夫婦なのか。家庭内で求められる役割には今も男女差があるのが現実だし、それに沿うのが自然で当たり前で不満がない人もいれば、もしかしたらカップルの片方は不満かもしれない。子供とのかかわりや仕事や不倫など、同じことでも男女で重さや評価が違っている現実のことも描いている。

 

サンドラ役のサンドラ・ヒュラーが素晴らしい。サンドラがか弱く見えたり世間に媚びたりせずに、むしろ反感を抱かせるような演技ができるというのは強い。そして現代的だ。最後まで自分らしくいてくれてほんとよかった。さらに息子ダニエルと愛犬スヌープ!すごい。どうやって演じてるの!

 

アカデミー賞にノミネートされてるらしい。どうなるだろね。

 

はあ、おっきいワンコと暮らすのいいなあ。(そこか)

 

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