アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

La nuit du 12(12日の殺人)

2022年のセザール賞を獲っているという本作。

12th-movie.com

 

救いがない。若い女性被害者クララと、次々に浮かび上がる怪しい男性ら。

クララの親友ナニーが、捜査の指揮を執るヨアンから受ける質問に涙する場面がある。クララは悪いことはしていないのに、まるで彼女に責任があるかのようだと。

警察だけでなく”世間”も、被害者に落ち度があったのだと思いたがる。特に被害者が女性だった場合は。

 

誰が殺したのかという犯人捜しの面と、犯人を探し出し捕まえようとする”正義”の側の人間の人間臭さの面。なかなか犯人に辿り着けないことに追い詰められたり、プライベートで問題を抱えていたり、捜査に先入観や偏見があったり。現実もきっとそうなんだろうな…と思わされる。捜査員は完全無欠の集団ではなく、それぞれに弱い面を持ち、正義感があり、同時に偏見もある。人間とはこういうものなんだろう。だからこそチームや組織である必要があって、互いに影響や監視を交換しながら、難題にあたっていく。そしてそこが男ばかりというのは、やっぱりよくない偏りであると、本作では明確に言っていると思う。

 

未解決のまま3年が経ち、再捜査を命じるのは新たな女性の判事。そして事件当時にはいなかった女性刑事もチームに加わっていた。その女性刑事が、男が罪を犯し、男が捕まえる、男の世界。といったことをつぶやく。まったくほんとにその通りだ。まったく。

そして未解決のままになった事件をトラウマのように抱えているヨアンも、容疑者となった男たちの誰もが犯人足り得るし、関わった男たちみんな犯人であり、なんなら関わってない男もみな加害者であると言った。(正確なセリフではない)あのヨアンの悟ったような、諦めたような表情。無力感。

 

この映画の参考になった実際の事件も、この映画も、未解決のままだ。フランス国内でのDVで多くの女性が殺されているというニュースを見たこともある。

どうしたらこういう犯罪を防げるのか、犯罪者を生まないために何かできることはないのか、大事な人をあんな悲惨な形で失った人たちの痛みはどれほどのことか。

そう考えると同時に、きっと不可能なんだろうとも思い、暗い気持ちになる。