アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

Mass(対峙)

transformer.co.jp

 

6年前に起きた高校での銃撃事件の被害者の両親と、加害者の両親。その4人が対面する。お互い相手に会って何を言いたいのか。何を聞きたいのか。ヒリヒリする会話劇。

 

対面の場所は田舎の小さな教会の一室。キリストの十字架があり、クリスチャンの考え方、生き方、みたいなものがあってこの場の設定に至ったのだろうなと想像する。日本の田舎で日本人の両親同士だったらどんな展開になるだろうか。なんとなくだが「恨み」が前面に出そうな気がする。(日本作品だったらという意味と、日本人だったらという2つの意味で。あと、感情的に泣き叫ぶを多用しそう、とか。)

 

アメリカでは銃撃事件がここ数年増えていて、2022年には600件以上が起き、2023年もすでにニュースになるような事件が起きている。事件の度に被害者が、そして加害者が存在し、その1人1人にこのような痛み、葛藤、苦しみがあるのだと思うと圧倒されてしまう。事件によって完全に変わってしまった人生。失われた子供。子供の記憶。

 

責めたい気持ちと、責めても変わらないとわかっている葛藤。わかっている、わかっているけど言わずにはいられないこともある。感情をコントロールし、この対面をできるだけ有意義な時間にしようとする努力。

そして犯人の両親となってしまった側の苦しみというのも、自分の子供を亡くした上に、他者から責められる苦しみ、自分への後悔が重なる分、こちらの辛さも相当なものがある。むしろこちらの方がきついかもしれない。

自分たちはどうするべきだったのか。どうしていれば息子を加害者にせず、事件を避けられたのか。ずーっと考え続け、後悔し続ける。辛い。

 

本当に人生って大変で、いつどんな試練に遭うことになるかわからない。穏やかに一生を終えられる人もいるだろう。なんという幸運だろう。私には子供はいないが、子供の存在ゆえの試練も、こういう映画やニュースに触れるにつけ、考えてしまう。大きな幸せと、それと対になる悲しみ、痛み。

 

最後の、加害者の母親の吐露に泣いた。

吐露する相手が夫ではないところもまた、彼女の辛さの深さの理由な気がして。子供を亡くした、子供が加害者となった、という事実に直面するときに夫婦の間に温度差があるとキツイよね。。

 

フラン・クランツ(脚本・監督)、本作が監督として1本目!このリアリティ凄い。そして4人の俳優陣も凄い。事件の重大性や遺族らの気持ちの重みを考えると、並大抵のことではないだろう。

 

 

ところで、公式サイトに載ってた監督のコメントの一部に、

『銃乱射事件のニュースで泣きながらインタビューに答える⽗兄の⾔葉に激しく動揺し、』

とあるんだけどさ、こういう時の言葉の選択にはもっと繊細でいてほしいよね。どこから来たんだよその「父兄」って日本語は。よりによってこういう映画の公式HPを作ってるのに、無神経だなー!!!

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