先日観た映画『対峙』もそうだけど、大きな事件ではどうしてもその衝撃の大きさが記憶に残るけど、そこには必ず大切な人を奪われた人たちがいて、残された人たちの声を知るという意味で『対峙』も『ワース』も胸が痛む作品。
911テロ事件はその後の戦争へと続く始まりでもあり、世界中の多くの人が間接的にではあるけど関わることになった。その足元では、被害者への補償を国が行うプログラムが進められ、定められた計算式により、被害者ひとりひとりに補償額が算出された。
主人公で補償プログラムの特別管理人を引き受けた弁護士のケンは、自分がそれまでやってきた仕事と同じように、ドライに合理的に進めようとする。しかしまあ、そううまくいくわけないよね。
遺族から個別に話を聴き取り、補償プログラムへの参加を求める。補償プログラムは、遺族からの訴訟を阻むためでもある。訴訟になれば高額の賠償金の支払いで業界やアメリカ経済に悪影響が出るから。補償額は生前の収入をベースに計算するので、高給取りは高額に、そうでない者は低額になる。
補償プログラムの対象者が7000人ともなれば、その中には様々な事情を抱えた人がいて、例えば同性カップルではパートナーの補償金を受け取れないケースも出てくる。
本当に酷い話だ。州の法律によって、また被害者の両親の意志によって、同性パートナーが無の存在とされる。日本でも同性婚を早く実現してほしい。愛する人を失う痛みに同性も異性もないし、法的な扱いや権利に重大な差別がある。きっとアメリカも2001年当時より法的整備は進んでることだろう。
私はこの作品で最後まで、主人公ケンの視点に立つことは全くなかった。最初から遺族と対話を重ねたスタッフたちの心労、ストレスは物凄かっただろうなと思うし、大切な人を失った人たち個々の事情や痛みに、そしてその後の戦争で亡くなった人たちのことなども、考えると気が遠くなる。兵士であれ一般市民であれ死んだ人たちの分だけ悲しいストーリーがあるはずなので。
プログラム参加率目標80%に対して、達成できてよかったね!みたいな気には全然ならん。そこはなんか、そちらの都合の話ですよね、って感じ。監督が一番に描きたかったのはそこではないだろうとは思いつつ、アメリカ的よかったよかったに見えるところは、若干微妙な気持ち。