イレギュラーなタイトル、"bis" 付けてみた。(パリの住所風)
その6を書いてから、あらためてパリオペのロビンズプログラムを観たら追記したくなってしまって。
この映像は以前見たことがあったので優先度は低かったのだけど、期限が来る前に一応、という気持ちで再生。
≪Fancy Free≫≪A Suite of Dances≫≪Afternoon of a Faun≫≪Glass Pieces≫の4作品のうち、≪A Suite of Dances≫≪Afternoon of a Faun≫をリピート。
≪A Suite of Dances≫のマチアス・エイマンがチェロの音色と戯れている様子を見ていると、つい一緒に微笑んでしまうような存在。マチアスって独自の世界を作れるダンサー。指先つま先までの行き届きた意識、音楽性、間やライン、見事すぎる。
そしてアマンディーヌ・アルビッソンとユーゴ・マルシャンの≪Afternoon of a Faun≫(牧神の午後)は5回くらい見たぞ!これ、前に全く同じ映像を見ているはずなのに、受け取る側の私が変化したのだ。それゆえ感じることも考えることも違ってきた。それは2月3月のパリオペ日本公演を経ているから。あの「ジゼル」のアマンディーヌ、「オネーギン」のユーゴを見ているから、あらためて見た「牧神の午後」が違って見える。
アマンディーヌジゼルの、あの何もない空を見つめる、現実と空想の区別がつかない、この世のものとは思えない、という存在感を思い出す。この「牧神」ではユーゴと2人でそこには存在しない鏡越しに見つめ合うのが、現実なのか非現実なのか、どちらともつかない存在感を醸し出す。
そしてユーゴは若者の繊細さ、純粋さ、戸惑いといったことが表われていて、見てはいけないものをみているかのような、なんとも言えない気持ちにさせられる。そしてアマンディーヌと組むと、2人が美しくも気だるい大人の気配が出てとてもいい。この、根底に流れる”気品””大人”というのが、パリオペの好きなところだ。
同じものを見ても、自分の変化によって違う感想になる、前より強く感じる、といったことがおもしろかったので、メモしてみた。
あとロイヤル「変身」も見たけどそれはまた今度。