アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

パリオペラ座バレエ団 ≪L'Opéra chez soi≫『ジゼル』

ロイヤルのストリーミングに続きパリオペもL'Opéra chez soiにいいタイミングで入った『ジゼル』、ドロテとマチューのペア。2019年。

 

chezsoi.operadeparis.fr

 

ロイヤルとパリオペでキャラの違いが際立つ。どちらの方が優れてるという話ではないが、同じ古典の『ジゼル』に対してこういう違いが生まれることがおもしろい。

 

ドロテとマチュー、そしてヒラリオンのオドリックという組み合わせは2020年の来日公演で生でも観ていて、その時ベテランエトワール2人による至芸に感動したのだった。個人的好みを別にしても観る者に「さすがパリオペ、さすがエトワール」と納得させる力があった。

 

客席で見てても伝わってるけど、映像で見るとよりダンサーたちの表情が見えるので、コールドバレエを含め、彼らがいかに緻密に演技してるかがよくわかる。セリフがないのになんて雄弁なんだろう。ドロテもマチューもオドリックも凄い。遠目にも凄いんだが、寄って撮られても美しく素晴らしいって、ほんとになあ!(感嘆)

 

バレエって踊ってるというより、演じてる、役を生きてるんだよね。そこがとにかく重要で、私が観たいのはそこなんだ。テクニックは手段であって、これみよがしにテクニックを披露されても冷めてしまう。

 

一幕、ドロテもマチューも本当に見事に演じていて気持ちが伝わってくるので、どちらの気持ちにも寄り添ってしまう。

アルブレヒトって本当に難しい役ではないかと思うのが、身分を偽り二股かけるようなクズ男なのにそれでも観客に嫌われるのではなく、ジゼルの愛に見合う男でなくてはいけない。そして最後には感動させなくてはいけないわけで、現実界にはそんな男、存在しないよね?(笑)

 

マチューアルブレヒトを見ているとそういうことを考えさせられる。破綻なく、ダメ男とジゼルとの間の強い愛を表現しているところ。若いダンサーがその若さを生かした役作りをするのもまた、その時にしかできない役作りだと思うのだが、経験と熟考を重ねたダンサーによる役の理解や演技というのに、私はとても弱い。

 

ロイヤルのを見た直後だとオドリックヒラリオンの可愛さに驚くよね(笑)。あんなかわいい花束を持ってジゼルのところにやってくる。恋心を告白しながら。それだけにその後かわいそうな扱いヒラリオン…。

 

二幕のウィリたち、ゲリノーとガニオの2人のドゥ・ウィリの情緒深さにやられた。あの役であんなに表現しているの、なかなか見られないのではないか。精霊だから表情豊かに踊るわけにはいかない。その中でのあの表現。映像だからこそよく見ることができてありがたい。(きっとそれぞれジゼルを踊っても素晴らしいんだろうなって思う)

 

私はバレエをまとめて見始めたのがパリなのでどうしてもパリオペを基準にしているところがあり、ロイヤルの『ジゼル』では新鮮というか違和感というか気づきが色々あるのだけど、比較するなら、パリの方がクラシックらしく演じ、踊り、役の設定も上品。ロイヤルはクラシックでありつつ立ち振る舞いや表現の仕方においてより演劇寄り(普通の人間寄り)な舞台づくりと感じる。身体条件も幅が広いし、より”一般人”にとって”身近な”役作りに見える。パリはやっぱり、選ばれし者の中でさらに選ばれし者だけができる舞台、という感じがあって、それが貴族であっても村人であっても独特のエレガントさがある。そんな上品な村人いるかい!と言いたくなる人もいるかもしれないね(笑)

 

それぞれのカンパニーが、うちはこれを伝承していきます!ってのがわかりやすくあってとてもよい。

 

ああ、アマンディーヌのジゼルも映像で見たい。。。(贅沢を言う)