アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

歌舞伎座 二月大歌舞伎『鼠小僧次郎吉』

第六波の中、代役や休演を経ての再開。なんとか観に行けてよかった。

 

www.kabuki-bito.jp

 

f:id:cocoirodouce:20220225105157j:image

菊之助鼠小僧次郎吉、と聞いただけで絶対観に行くと決めてたんだけど、本当に観られてよかった。なんともしみじみと、ぐっとくるお芝居だった。

 

私が歌舞伎の世話物で(いや時代物でも)感動するのって超珍しい。どうしても設定にある身分、差別、あまりに理不尽な扱い、などに感じる抵抗の方が大きくなりがちで、いやー、昔は酷かった、今の方が多少マシでよかった!みたいな。

 

しかしこの『鼠小僧次郎吉』にあるのは、”生まれ”によって定められた”運命”に翻弄される男の姿。これは現代でも無縁ではない話で、例えば「親ガチャ」という言葉が生まれたように、本人の力ではどうにもできない、選ぶことのできなかった要素によって人生が左右されてしまう、というのは現代人にも身近で考えさせられるテーマなのでは。

 

菊之助演じる幸蔵(実は泥棒の鼠小僧)の登場の場面。心中しようと話している男女を放っておけず籠から降りてきて話しかける。その声がもう、とてもよい。幸蔵は根っからの悪人ではなく、困っている人を助けたいその人の良さが声に現れる。これは菊之助本人の人柄の反映とも言えると思うのだけど、ファンのひいき目だろうか。

 

丑之助くん8歳、感心してしまった。私は子役に対しても微妙な気持ちになりがちだ。なんというか、見てはいけないものを見ているような、本人の意志とは関係なく舞台に立っていてそれを楽しむというのはどうなんだろう、未熟な芸を楽しむというジャンル?とかいろいろ考えてしまう。

しかし今月の丑之助くん、自らの意志で舞台に立っている感じが出ている。役者である。セリフも結構あるし演じ伝えるべきものが多い。私はあんなに長いセリフ覚える自信ないぞ。

f:id:cocoirodouce:20220225105419j:image

河竹黙阿弥の七五調のセリフと菊之助のステキボイスでとても耳心地がいい。と同時に、黙阿弥は幸蔵の人生にさまざまな苦難を背負わせていて、生まれの”定め”から逃れられなかった切なさ、途切れた人との縁と罪悪感などが何重にも覆う。幸蔵の妻の状況、芸者お元の人生はやっぱり女性にとっては胸が痛すぎるし。しかし本作ではそれをちゃんと辛いものとして描いているとは思う。

 

ああ、この役を演じるのに菊之助はぴったりだなあ、と何度も思った。姿かたちとしても似合っているし、これが「ニン」というやつか、という気がする。素人考えだけど。

 

そして彦三郎さんの早瀬ね!そうそうこういう役いいよね。黙阿弥はほんと庶民の心情をよくわかってて(笑)、権力者である武士の金しか盗まない鼠小僧とか、罪人ではあるけど幸蔵の性根の良さを見抜き見逃す早瀬とか、そうであったらスカッとする!というのを書いている。さすが、何百年経っても残ってるだけある。

 

”生まれ”によってその後の人生が決まってしまう、それが定めで逃れられないのだ、なんてことはないのだと思いたいし、生まれに縛られず誰もが羽ばたける世の中であってほしい。そして縛られてる人には助けがあってほしいし助けたい、応援したい。幸蔵さんもその後の人生をどこかで謳歌しててほしい!!

そんな風に思った夜であった。

 

来月は国立劇場だね!

f:id:cocoirodouce:20220225105215j:image