アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

Emergency Declaration(非常宣言)

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おもしろく見た。何層にも危機があり、人間性が試される。地上と機内、関わってしまった人たちにはそれぞれの戦いや辛さがあるのだが、特に最後の方はちょっと説得力(?)が足りないような気もした。(例えば意外と燃料あったな、とか。発症と症状にずいぶん差があるな、とか。)

 

犯人像について。動機が理解できない怖さというのは現実社会でもあるよね。高学歴な集団がサリンを撒いた例がこの国にはあるし、車で見知らぬたくさんの人を殺した例もある。なんでそういう行動に出たのか、なんでそういうことを考える人が生まれるのか、明確な答えを欲しいと思ってしまう。理由がわからないと怖いからね。。

しかし現実界においてたくさんの人を殺して死刑になりたい人(自分で自分にケリをつける気はなく最後まで他力本願な自分勝手よな)は存在する。本作の犯人の動機がなんだったのかわからないけど、わからないんだよな、現実の事件だって。

犯人役のイム・シワンのあの感じ、なんかとてもリアルで。。いや、実在の犯人を誰か知ってるわけじゃないんだが。とてもいそうで怖い。

 

何か大変なことが起きた時に、どう対処するか。一個人として直面したら。責任ある立場で決断を迫られたら。テレビのニュースで事件を知ったら。

 

一般大衆による着陸反対のデモ、あれ、リアルな行動として空港に出向く人が実際にどれくらいいるかはわからないけど、ネット上でなら相当に”盛り上がる”気がする…暗澹たる想像だけども。今のネット上の空気ってそうだよね。

 

多くの人のためなら少数の人は犠牲になるべきなのか。犠牲にしてもいいものなのか。どれくらいの犠牲なら受け入れられるのか。それを誰が決めるのか。少数派は多数派のために自分を諦めるべきなのか。

 

ちょっとだけダイヤモンド・プリンセス号を思い出した。

 

ソン・ガンホは本作でもいい味出してて序盤はくすっと笑うようなこともあったのに自己犠牲が大き過ぎて辛い。”善”なのだけど。でも。

現実の事件においては、個人の自己犠牲に頼るようなことがあっては絶対に行けないと思う。権力者とは、責任者とは、何のために存在し、なぜ力や組織を与えられているのか。大きな権力持ってる人たちは常によく考えていてほしい。

いやー、もしこんな大事件が起きた時に、我々の国の権力者がまともに対応できるんですかね。超ギモンだわ。事件は起きない方が良い。しかし対応する術や能力は準備しておくべきであって。

責任は痛感するものではなく取るものです。(日本の権力者へ)

 

最後の、ここで月の光(ドビュッシー)なの??と思ってたら演奏はチョ・ソンジンくんだった。