アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

Un beau matin(それでも私は生きていく)

なぜこうも自分にとって重いテーマの映画を選んでしまうのかと自問自答しながら観た。

unpfilm.com

 

レア・セドゥとメルヴィル・プポー。ふたりとも絶妙に見事な一般人っぷり。これほど”普通”であることに、俳優ってすごいなあと感心してしまう。

 

哲学の教師で知性溢れる人物だった父ゲオルグが、病のために記憶や知性を失っていく。ひとり暮らしが不可能になり、施設入所を勧められるがよい施設は長く待たねば入れず、一時的にと入院した病院からはそろそろ部屋を空けてくれと出ざるを得ず、とりあえず入れる施設を探すが環境は酷い、でもそこにお願いせざるを得ない。

こういう流れ、フランスでも日本でも同じだね。。。

 

父親にできるだけよい環境をと願う気持ちと、だからといって娘であるサンドラにはトイレの介助はできない。すごくよくわかる。そして病気のせいとわかっていても、父親が以前とは別人のようになっていき、自分のことも忘れていく。それを目の当りにする辛さもよくわかる。

 

サンドラが、施設にいる父本人よりも父の本棚の方が父らしく思えると言う場面。これまた超わかる。自分の記憶の中の父親と、今、目の前にいる病んだ父親。そりゃあ記憶の中の父親の方をずっと覚えていたいし、変わってしまった父親を受け入れられない気持ちになる。(サンドラの話なのか私自身の話なのか!)

 

さて、最近観た『すべてうまくいきますように』も『パリタクシー』も、人はどう人生を終えるのか、終えたいのか、それを周りはどう受け止めるのかが描かれていた。

 

そして『それでも私は生きていく』では、病み、老いていく父親を見つめる娘の、娘自身の生活に重点が置かれている。

 

そうなんだよね。まるで二重生活というか、一方では親の老いがあり病があり受け入れ難い現実があるんだけど、それとは別に自分の周りでは自分の時間が流れていく。

 

でも、別であることが重要なんだと、経験者として思う。父親は娘のしあわせを願っているだろうし、自分のために娘が人生を犠牲にすることは望まないだろうと、私は自分に納得させていた。そう信じたいということだけど。父親が何を思っていたかはもうわからない。

 

テーマからして観る決心がなかなかつかずいたんだけど、最終的にはメルヴィル・プポーが出てると気づいて観ることにしたのだが、いやあ、ほんっと、見事にどこにでもいそうな中途半端な男で!(笑)悪い男じゃないんだけど。とはいえ誠実さも持ち合わせていてよかった。

 

しかしサンドラの人生、夫を亡くし、1人で娘を育て、高齢の1人暮らしの祖母の様子を見に行き、病の父の世話もし、どんだけハードなんだ。。人生って、ハード。

 

病の高齢の父親とその娘という組み合わせは『ファーザー』(未見)もそうだったと思うが、息子のパターンでは映画になりにくいのか?息子どこ行った?とは思った。『すべてうまくいきますように』は原作者自身の体験を元にしているから娘なのは当然だけども。

 

オルグには恋人がいて、彼女の名前を呼びながら施設内をさまよう。元妻のことはもちろん、娘サンドラのことも近いうちに忘れるだろう。

サンドラの母もサンドラも、周囲の人物が皆ドライだけどやるべきことはちゃんとやっていて、「家族なんだから」みたいなウェットな精神論でないところがよい。ある施設で職員に「娘なのに」みたいなことを言われるんだが、サンドラはさくっと返していた。そういうところがよい。当事者より他人が優先ってことはないのよ。みんな自分最優先でいいの。

 

日本の世の中の空気的には家族がケアするのが当たり前で、老後は子供(娘・嫁)に面倒を見てもらうみたいな価値観がまだまだある。そうやって「家族の絆」に期待し依存するのに、その「絆」をはぐくむための努力は免除されてると思ってる人は結構いるように見える。努力せずとも自分は大事にされて当然というか。(主に男性でしょうね)相手を大事にしないのに、自分は大事にしてもらえると思うのはなんでなんだろうね。(「男だから」なの???)

 

私が血縁や家族によらない人間同士のつながりを描いた話にめっぽう弱いのはこういう社会的背景への思いがあるからだ。だから『パリタクシー』みたいなのにめっちゃ心動かされる。

 

映画の感想というより自分のこととの境界があいまいになってしまう。やはりこういう作品はキツイ。