アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

新国立劇場バレエ団『マノン』

こんな時期なので、ワディムが予定通り踊るのか成り行きを見守ってたのだけど、ワディムの来日を確認してからチケット買いました(笑)

 

マノン | 新国立劇場 バレエ

2020年2月22日14時

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ワディムのデ・グリューがあまりにも美しく完璧にデ・グリューなので、もう、その脚を観ているだけで泣きそうになる。

マクミランの振付はその時点で音楽と物語が一体になっているから、振付の通りに踊れればそれですでに見事なのだと思うのだけど、そこからさらに上積みするものがスターにはあるのだよね。

美しいライン、滑らかな運び、内から湧き出る感情、危なげないリフト。ため息。

1幕のしあわせにキラッキラと輝くのも、2幕の戸惑いや悲しみも、役を生きるというのはこういうことなんだろうなあとひたすらワディムに見惚れてしまった。

 

で、『マノン』みたいな作品は主役だけでは成り立たない。そして演劇バレエとなると当然、ますます演技が大事。

演技って、大げさな表情を作ることや大げさな身振りをしてみせることじゃないんだよな。そういう表面的なやつ見せられると観てる方は冷めるのよ…。何が違うのかと終始考えてしまった。

 

そしてマノン像というのも、踊り手によって様々な解釈があって、役作りはそれぞれ工夫しているのだと思うのだけど、私は意志のある強いマノンが好き。時代や環境に流されるだけでなく、それを逆手に取る強さや、自らの選択だという意志が欲しい。

今日のマノンはその場その場で流される、当時のフランス社会では女はこうだったんです、となぞっている系マノンに見えて、いやまあそうなんだろうけど、、、とちょっと距離を感じたのであった。

 

あと、余計なことだけど、ここは○○48とかめいどカフェとかある国なんで、気を付けないとそっちに寄ってしまうんじゃないかと不安になる。特に『マノン』での女性群舞って、日本人には難しい設定だよね。もっと大人であってほしい、というのは新国を観るたびに言いたくなってしまう点。

 

とにかく、ワディムワディムなマノンであった。

あらためて、来てくれて踊ってくれてありがとう。

 

初日終演後のワディムのインスタ↓

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