アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

パリオペラ座バレエ団『眠れる森の美女』(2013)inシネマ

2013年、パリ、オペラバスチーユでの公演『眠れる森の美女』を映画館で。

オーロラはミリアム・ウルド=ブラーム、デジレ王子にマチアス・エイマン。理想形。

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バレエ|パリ・オペラ座|眠れる森の美女 |ルドルフ・ヌレエフ|チャイコフスキー

 

2014年の上映時にも見ているこの公演。何度見ても素晴らしいミリアムとマチアス。

最初にミリアムのオーロラが登場するのはカラボスが「呪ってやるー!」ってなっている場面での未来のオーロラの姿としてなのだけど、ブーケを持って立っているだけなのに「かわいいーーーーー♡」ってなってしまう。あの姫オーラ、さすがエトワール。オーロラ姫の”理想形”が踊っている、というそのことに感動してしまうのだよね、存在してくれてありがとう…みたいな。(やばい)

オーロラの見せ場であるローズアダージオ。いやーもうね。私にとっての”理想形”なので、瞬きするのも惜しい。

ところでオーロラ16歳の誕生日にやってきた4人の王子、ロシア、インド、ペルー、アフリカ、なのだけど、肌の色塗るのは今後どうなりますかね。(アフリカンは濃いめに塗っていた)最近の上演ではどうだったんだろうか。

 

さて2幕はなんといっても幻想の王子のソロ。なんとも言えない哀愁を漂わせつつあの複雑な振付を踊りこなす。踊りこなすというのはいい表現ではないな、マチアスはあれほど複雑で難易度が高い振りが自分の身体に入っていてあの複雑さで表現するレベルに達している。多くのダンサーにとって振り通りにこなすのに精いっぱいになってしまうであろうところ、(そういう場合観客はひやひやしたりがんばれーと心の中で応援してしまう)マチアスのデジレ王子はその心境を表現するためにあの振りがあるのだと思える。

 

マチューのデジレ王子もこのソロの場面に見入ったのだけど、また別の意味で見入ったような気がするんだよね。マチューの場合はより表現に感嘆した記憶なのだけど、マチアスは踊りがメインでその音楽性が王子の精神状態を表現している、というような。

 

それにしても、王子を踊るというのは、選ばれし者にのみ許されているのだな、と思わされる。あれはダンサーなら誰でも踊れるというものではない。

 

しかしこれはクラシックバレエを観る上での葛藤なのだけど、”見た目が第一”というわけじゃないのだよね。容姿も持って生まれた才能のうちではあって、美しいつま先を持っているとか、甲が出てるとか、足が長いとか、確かにそれが有利に働く面はある。それは否定できない。観客として。しかし見た目でジャッジしてはならぬ、という気持ちも同時にある。バレエダンサーの身体は子供の頃から何年もかけて鍛錬を重ねてきた一種の芸術品のようなもので、顔がいい、スタイルがいい、みたいなものとは別物だと思っている。

 

オペラ座には多様性が足りないという話も、その通りと思う。でも15年前と比べたら変わってきているとも思う。より幅広い子供たちがダンスを習い、プロを目指す子供たちを後押しする先生たちも、より幅広い子供たちに可能性を見出していけるといい。そして見る側も、ステレオタイプでダンサーをジャッジしないように。私も以前よりはその辺りを意識するように気を付けている。

 

さて「眠り」に戻ると、私は2幕の幻想の場面好きだな。パリオペの王子は何か満たされない憂いをまとってる王子が多い気がするのだけど(笑)、幻想のオーロラの高貴で手が届かないような雰囲気と、満たされない思いを抱えた王子が距離を縮めたり遠ざかったりしながら、王子を決意へと導く。

一方、眠っているオーロラたちのもとにたどり着き、オーロラ姫にキスをして目覚めさせて、周りの人々も次々と目を覚まし、めでたしめでたし、というのはまあ単純よね。幻想の場面があるから、単純なおとぎ話にならずに済んでいるところはあると思う。

 

3幕はGPDDまでの間をどう持たせるかで(ひどい)、こういうところを楽しめないと「眠り」のような演目はつらい。長いし。

見どころはフロリナと青い鳥で、この日のキャストはヴァランティーヌとアリュ。当時は2人ともプルミエ。あの頃のアリュはすぐにでもエトワールになりそうな勢いがあったよね。。観客からも愛されているし。この日の出来はそれほどよかったとは思わないけど。

他にも、当時プルミエで今もプルミエ、当時コールドにいたけど今はエトワールなど、2013年から8年ほど経っているので見慣れた顔を見つけるといろいろ考えた。

 

特に今、ユーゴの自伝本を読んでいるので、当時ユーゴはたぶんこの年のコンクールでコリフェに上がったところだと思う。ジェルマンと共に。自伝本では学校時代から入団試験、入団して最初の頃の昇進試験のところを読んだので、ああ、ああいうこと考えてた頃のユーゴかあ、みたいな気持ちに。

 

さてフィナーレとなる3幕のGPDD。ここは有名なソロがあるのでプレッシャーかかりそうだけどさすがよねエトワールたち。特にマチアスのソロの後のバスチーユいっぱいの観客からのすごい拍手。胸が締め付けられる思い。観客でいっぱいの劇場が恋しい。

 

前回2014年に見たときから何年も経ち、その間に私もいろんなものを観たりして、同じ映像でも観る側は変化している。前回より深く読み取れたり感じ取ったりできていたらうれしいな。

 

それにしても、早くパリで観たいよ!!!

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