1995年、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の中で起きた大量虐殺事件「スレブレニツァの虐殺」。その事実を基にした映画。
「サラエボの花」でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したヤスミラ・ジュバニッチ監督作品。
戦争をテーマにしたドキュメンタリーや映画を観ると、人間はこんなにも残虐になれるのかと毎回衝撃を受けるのだけど、いくらでも残虐になれてしまうってことなんだよな。。
かつてご近所に暮らし、一緒に学び、働いたりしてた隣人同士が敵味方となり、罪悪感さえなく恐ろしい所業に至る。そこがこのボスニア紛争の恐ろしさところの一つでもある。
自分がどちら側になるかなんて、その時にならないとほんとわからないのかもしれない。そう考えさせられる。
民族、宗教。いつの時代も争いのもとになってきた。人は単に人ではいられないんだろうか。そんなに「属性」で分断しなくては生きられないんだろうか。辛い。
パリのホームステイ先のムッシュウがボスニア・ヘルツェゴビナ紛争について「あれは本物の戦争だった」と苦しげな表情で繰り返したことがあった。
ヨーロッパで、ほんの25年前、すぐそこで起きていた凄惨な虐殺。なぜ止められなかったのか、何をすべきだったのか、なぜできなかったのか、他人事にせずちゃんと考えなくてはいけない。そうでないと同様のことはまた起きる。
日本だってそう。結構危うい状況だと思う。この国には「前歴」があるし、いざとなったらやると歴史が証明している。
旧ユーゴは複雑過ぎてなかなか理解が難しい場所でもあるけど、改めて知りたいと思った。
終盤、主人公のアイダが元住んでいた家に戻る。そこで「ママ」と声がする。あれはアイダの幻聴なのか、本物の声なのか。冒頭、兄弟間で靴を借りていたので、もしかしたらと儚い希望を抱いてしまった。
公式サイトに監督のインタビューやキャストの紹介が載っていて、セルビア人なのに”悪役”として出演した俳優に対して母国では大きな政治的圧力がかかっているとあり、戦争と戦争犯罪、自分たちの国の犯したことをどう認めるか認めないか、といったことは、戦後の日本を見てもわかるように、大きな亀裂を生む。
原題に使われているラテン語「Quo Vadis」についても監督が語っている。深い。
同世代の女性監督の作品。ずしりと重く、先々まで記憶に残る映画になりそうな気がする。