アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

Illusions perdues(幻滅)

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1か月以上ぶりの映画館へ。グザヴィエ・ジャノリ監督の『幻滅』を観た。気になってる数本の中からまずどれを観るか、決め手はドランが出てるからかな。

 

主人公リュシアンが強く抱いていた野望と幻想。野望を持つことも成り上がることも悪ではないのに、なんという痛み。社交界への憧れ、そんな憧れを抱く者を見下す貴族たち。

 

そういった19世紀フランスの人間模様とともに、もうひとつテーマなのがメディアの存在と役割。新たな新聞が続々と創刊され、王政派、自由派それぞれが政治的主張や芸術批評を展開する。しかし記事になるのが真実とは限らない。というか、ほぼ真実ではない。人々が求めてるのは真面目な真実ではなく、娯楽として消費できる”真実っぽい”もの。自分たちに都合のいいことを書いてほしければお金を払えばよい。記事はお金で買えるのだ。

 

現代社会でいうならSNS上のインフルエンサーが似ている。SNS上で大きな影響力を持った自分、その影響力を維持・拡大するためなら事の真偽や倫理が後回しになる、という人がいる。

リュシアンは文学に夢を抱き田舎からパリへ出てきた世間知らずの若者で、しかしパリの現実を知るにつけ、夢を忘れてインフルエンサーとしての自分に酔いしれる。その影響力が大きくなるにつれ、尊大に、無謀になっていく。

 

画がとても美しく、冒頭で、久しぶりにクラシックな映画を観ている!という気持ちになった。さらにリュシアン役のバンジャマン・ヴォワザンのあの、美しいだけではない、内にある暗いもの、それゆえの美、みたいなものについ眼が惹かれる。それを美しいと思ってしまう自分、というのもちょっと考えてしまうが。

 

当時のフランスの歴史的背景を知っている方がわかりやすいとは思ったけど、そこに詳しくなくても、メディアの力、芸術の存在、王や貴族らのいる身分社会、女性のおかれた状況などは、現在と比較しながらみるだけでも、うわー同じ!となったり、十分ではないながらも改善されている、となったり。

 

しかし、今の日本も大差ないのでは…となったりするのはちょっと辛いものがあるし、我々はもっと理想を持ち語るべきだったのではないか(あえて過去形)(もう手遅れかもしれないけど)、人や社会はどうあるべきかを真剣に考えてこなかったもしくは真剣に考えることを冷笑してきた結果が、今なのだよな。

 

ところで、がらーんとした自宅アパルトマンの部屋でリュシアンがコラリーといる場面で、

 

「わ!ル・パルクのアバンドンのPDDの衣装じゃん!ほんとにああいうの着てたんだ!本物初めて見た!(※映画の中でも衣装だが)」

 

となった。ル・パルクとほぼ同時代なのかな。もちろんダンサーの身体と俳優の身体は違ったけども。

プレルジョカージュのバレエ『Le Parc』より。この衣装ね。

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考えてみればル・パルクはフランス宮廷内の人間模様だからこちらの方が少し時代は古いのかもしれない。『幻滅』の原作のバルザックが生きたのは19世紀。

 

パリでフランス語の学校に通っていた時に先生が、ルイ16世は今のケベックの人たちのようなフランス語を話していた、と言っていた。今ではケベックが訛りとみなされてるけど。そう考えると、本作でドランが語るのはある意味正しい。(笑)

 

題材が骨太で、俳優らも豪華で、重厚な衣装や撮影地が美しく、学びが多い映画だった。見応えあり。

 

しかし当時の劇場ってほんとにあんなだったのかね。舞台に上がる方にしたらたまったものじゃないな。。

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