アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

”プロ”の定義とは

東京にあるバレエ団が、公式アカウントで”プロ”の実情を公に語っていて一部で話題。

 

プロのバレエ団のはずなのに給料が出ないだけでなく、逆にダンサーがカンパニーにお金を払っている。ほとんどのバレエ団は所属ダンサーにチケットノルマを課しているというのは薄々聞いたことはあっても、当のバレエ団やダンサーが語るとインパクトある。

 

私、常々思っていたことなんだけど、日本には(というか東京には)プロのバレエ団が多すぎるのではないだろうか。

 

そう思った背景を一応書いておくと、まず、私が自分のお金でチケットを買ってバレエを観に劇場に通うようになったのはパリで、パリオペラ座である。そしてパリオペラ座ではダンサーは公務員であると知った。知った当時はびっくりした。パリではガルニエでもバスチーユでも安いチケットがあり、学生でも何度も通うことが可能だった。そのおかげで演目がなんであろうと、知っていても知らなくても、古典でも新作でも、とりあえず観に行くということができて、気に入れば(そんなに気に入らなくても)気軽にバレエを何度も観ることができた。

 

そして帰国した。パリのなんと恵まれたバレエ鑑賞環境!あんなに観ていたバレエが生活から遠のいた。しかしバレエ恋しさが募り、新国立劇場の『白鳥の湖』にザハロワが客演した時、観に行った。(パリオペに客演したのもパリで観ている)

 

衝撃だった。パリで観たザハロワもパリオペに全く馴染んでおらず浮いて見えたものだがそれは踊りのスタイルの違い故だったと思う。でも新国では、主役とそれ以外が別次元に見えてしまった故の衝撃だった。

 

それで再び劇場から足が遠のいた。この時のショックはかなりでかくて、日本のカンパニーの公演は本当に全く何も見ていない期間が数年ある。

 

その後、縁あってアーティストに話を聞き記事を書いたりするようになった。ジャンルはバレエ、クラシック音楽、ミュージカル、伝統芸能、たまに演劇など。これは本当に学びが多くて、アーティストに直接会って話を聞く機会ができたことで、話をした本人が出る公演となれば興味も湧くし応援したい気持ちにもなる。(※全員ではない)

 

それで日本のバレエ団の公演も観るようになったのだが、そこで感じたのが、主役級のダンサーと、それ以外のダンサーの間のレベル差だった。ダンサーだけでなく衣装、舞台装置、照明など舞台全体に対してもやもやすることもあった。正直、プロのバレエ団としてどうなんだろうと感じたこともあった。予算の差かな…と切なくなることもあった。

 

例えば東京にプロのバレエ団が10個あったとして、主役を踊るダンサーが各カンパニーに2人、ソリスト級が4人、とすると、6×10で60人になる。精鋭によるカンパニーが1つできる。(極端なこと言って本当にすいません申し訳ない現実味がないことは重々承知)

 

上記の意図は、プロのダンサーとしてバイトせずとも生活ができ、プロのカンパニーの公演として観客が納得できるレベルを上演できる、そのためには、多くのカンパニーにいいダンサーが分散していて1つのカンパニーの公演数が少ない現状では厳しいので、カンパニーの数は少なくしてそのかわり、1カンパニー当たりの公演数を増やせるのがよいのだろうな、ということ。実際新国やKは公演数多い。

 

カンパニーの数に比例してバレエファンが増えるわけではないので、限られたお財布の数で多くのカンパニー・多くのダンサーを支えることはできない。現状は”プロ”の定義を広くしてお金を薄く広く配っている状態なので生きていくのに必要な額がもらえない…という面があるのではないか。かといって、例えばA団とB団が合併するので所属ダンサーの数は半分になりますみたいな大改革をやれるとも思えない。それが最善策と思っているわけでもない。

 

そもそもヨーロッパやロシアなど本場では、子供のうちから才能や骨格、体型等で厳しく選抜され、バレエ学校を卒業できる人は限られるというから、日本のように本人が希望すればバレエが学べるという環境とは違う。極端に言えばプロになれる条件を備えた人しかバレエを続けられない。

例えば毎年プロの卵として世の中に出る人数が10人しかいない世界と100人もいる世界では、その後の環境やレベルが違ってくるのは当然だろう。パリオペラ座の団員は定員154人、毎年欠員分だけが新たに募集され、実際に入るのは毎年大体10人未満だと思う。超エリート集団。

 

一方、動画で紹介されていた日本のバレエ団、今年の新入団員が30人だという。30人!!

たぶん、たぶんだけど、”プロ”のレベルに達していなくても”プロ”になるチャンスはあるが、”プロ”になったからといって収入が得られるとは限らない、という、【プロの定義とは??】というのが日本のバレエ界の現状なのだと思う。そしてそれを問題だと思っている人はたくさんいるのに、変わらない、変われないまま今まできている。そのことに対する危機感があるから、バレエ団自ら実情を公表することにしたのだろう。こうすれば解決!という方法があるならとっくにやってるはずだもんね。。難題。

そこに自らのバレエ団を立ち上げることで立ち向かって来たのが熊川氏であり、新国は”国立”の名を冠している以上それなりの待遇を提供する責務があるだろうし、吉田都監督はそこも含めて取り組んでいるのだと思う。

 

あとは、日本のカンパニーは自前の劇場がない(Noismを除く)という問題もあるよね。公演をやるにはホールを借りる必要がある。ヨーロッパだと、まず街に劇場があり、その劇場にオーケストラやバレエ団がある。

 

また日本のバレエ人口の多さは”お教室文化”あってこそであり、教室とバレエ団の系列などからくるダンサーの供給と受け皿としてのバレエ団という関係もあると思う。また教室の発表会が男性ダンサーの収入源でもあったりして、それもまた歪んだ構造に思える。

誰でも、年齢問わず、趣味としてバレエを習う機会の多さでいうと、日本は世界有数かもしれなくて、それはとてもいいことだと思う。

 

バレエの歴史も、バレエ団の成り立ちも、国の関与も、バレエ教育の制度(日本にはないが)も全く違うのでどこかに合わせることはできないだろうけど、ダンサーを職業として成立させることは、公演レベルの向上につながってる話であり、私たち観客が払うチケット代の価値の話でもある。バレエに限らず芸術分野でうまく行っている業界があるのかどうか残念ながら思いつかないのだけど。(プロ棋士の世界はちょっとパリオペっぽい気がする)

 

私はダンサーの生き様が表れる舞台が好き。好きというか、そこにこそ感動する。ダンサーがバレエ以外の芸術やエンタメに触れることも、一人の人間として様々な経験をすることも、趣味や友人を持ち充実した時間や知性を得ることも、政治など自分たちの生きる社会について考えることも、全部バレエの舞台に返ってくる。舞台上に全部現れる。

芸術ってそういうものだと思うのよね。

 

今また私は日本のカンパニーの公演から足が遠のき気味なんだけどそれは、レベル云々のみでなく描かれる女性像に違和感が大きいからで、それはまさしく私たちの社会の反映だと思うのよ。私の中ではそういう結論に至った。また芸術だって政治と無縁ではいられないのに、政治の問題を透明化しているとも感じる。なので、社会か、ダンサーの意識に変化があるまでは、なかなか足は向かないかもしれない。でもたまには観ないと変化してるかしてないか確認できないんだけど。日本のバレエ界、ダンサーを応援したい気持ちはありつつもシビアに見てしまう自分の中の葛藤…。

 

いやあほんと、色々考えさせられるなかなかの”爆弾”でしたね。これからも期待しています谷桃子バレエ団。

 

 

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