アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

Indes Galantes(優雅なインドの国々 バロック meets ストリートダンス)

2019年にオペラ・バスチーユで上演されたオペラ『優雅なインドの国々』、初日を迎えるまでの舞台裏を追ったドキュメンタリー。

 

www.myfrenchfilmfestival.com

 

フランスの作曲家ジャン=フィリップ・ラモーによるオペラ=バレエの傑作『優雅なインドの国々』は、フランスが植民地を拡大していた1735年に創作された作品。タイトルの“インド”は、ヨーロッパ以外の異国の地を指している。2019年、パリのオペラ・バスティーユの舞台に初めて立つエネルギッシュなダンサーたちにより、バロックオペラの傑作に若い息吹が吹き込まれ、欧州の歴史が違った角度から見えてくる。監督は『椿姫ができるまで』のフィリップ・ベジア。

 

先日パリ・オペラ座のL'Opera chez soiでバレエ『ジゼル』とセットになっていたのがオペラ『優雅なインドの国々』。ジゼルというロマンチックバレエとヒップホップをセットにするところに、今のオペラ座の意志を感じるなあと思ったやつ。(現在もレンタル可)

chezsoi.operadeparis.fr

 

私の中にもストリートダンサーへの偏見があったのだ。彼らはクラシック音楽を古いとかダサいとか思ってるんだじゃないか、と。そしてクラシックのミュージシャンも、ストリートを軽視してるんじゃないか、と。ほんとすいませんでした。あらためて芸術の力、芸術の必要さを思い知った気持ち。そしてアーティストの懐の深さ、聡明さ。

 

バロックオペラで現代を描く。その試み自体が挑戦的で、オペラに無縁だったストリートダンサーたち30名が出演するというのも非常に挑戦的。

集まったダンサーたちはフランス以外にルーツを持つ人がほとんどと言っていいくらい多様で、圧倒的に白人で占められているクラシックの世界とは”対立”と言っていいほど違いが際立つ。

 

すごく象徴的で、「うわー、いるいるこういう人!」ってなったのが、準備初期の頃まずはダンサーたちにオペラを客席から観てもらおうということで、みんなでバスチーユでオペラ観てホワイエに出てきたら、一般客のマダムが、「あなたたち招待されたの?どうだった?」と声をかけてきたのだ。

 

(もちろんよかったでしょ?)

(でもあの良さがあなたたちにわかるかしら?)

(自分でチケット買って観に来たようには見えないものね)

という態度を内包した発言に、私には見えた。実際いるんだよこういう”無邪気”な人。。

まあこういったことへの”抵抗”としてのバスチーユがあるのだよな、というのもこの作品のメッセージと受け取った。

 

リハーサルでダンサーと合唱が呼応するところが素晴らしい。対立ではなく、尊敬がある。そしてリハーサルを終え、時間が来て、「終わりたくないけど今日はここまで」ってなる。しかしあまりに素晴らしい時間を過ごしたので彼らの興奮は簡単には収まらない。自然と集まり、踊り、歌い、その様子がすんごく幸せそうで。

芸術の力ってこういうのだよなあと、めちゃくちゃ感動してしまったのだった。

 

あるクランプダンサーの言葉。

「クランプは自己表現。オペラは表現の場。歌手は自己表現する。だから僕には居心地がいい。彼らの歌をダンスで表現する、だからおもしろい。バロックは感動的だ。声にも言葉にも力強さを感じさせる。歌手は全身全霊で歌う。歌が自分の身体に入ってきて初めて自分のものになる。芸術表現の目的は何かを語ること。地上にあるすべてのものは語るべき何かを持っている。芸術表現はその究極の形だ。」

 

地上にあるすべてのものは語るべき何かを持っている…。なんと感動的。ダンスで表現するダンサーがこれほど見事に言語化している。巻き戻してメモしたよ。

 

そして”外部”の視点が入ることってやっぱ大事だよなーと感じたのが、ある女性ダンサーの言葉。

「音楽は素晴らしい。でも歌詞をじっくり聞くととても暴力的だ。『隷属しても愛すべき?』だなんて、現代でほんとよかった。」

 

これわかるー!!ってなった。古典は古典として昔の話だとわかっていても、昔の話をそのまんま同じように繰り返せばいいってものじゃない。歌舞伎でもバレエでもそう感じることはある。現代の感覚で問い直す態度が必要だと思っている。

この『優雅なインドの国々』の新演出ではその辺りも踏まえている。ここで彼女は”飾り窓の娼婦”を演じるのだが、セクシーな恰好をしたらセクシーに振舞いたいたくなるけどやり過ぎてはいけない、暗の面が出ないと、といったことを話していた。

 

オーディションから1年の準備を経て迎えた初日。終演後観客からの熱い喝采。オペラファンのことを誤解していたとあるダンサーが言っていたけど、私もだった。もっと半々くらいになるのかなと思ってた。一方で評論家の意見は半々だったらしい。

 

「観客の歓声は期待していなかった。でもあった。オペラファンのことを全く誤解していたよ。一方で新聞やメディアの反応は別れた。全く腹は立たない。彼らの愛するものの中に僕らが踏み込んだ。僕たちの方法で彼らの愛するものを最大限にリスペクトした結果だ。これが出会いだよ」

 

もうね、ダンサーの皆さん、ダンスで表現する人たちだけど、言葉も素晴らしくないですか。まじで感動的ですらある。

 

これが出会いだ。まさしく。

 

そして、今回のこのプロジェクトは、ストリートダンサーたちが、オペラ座にやってきた。彼らがストリートにやってきたのではない。そうダンサーが述べていた。

たしかにそう。この試みが一回限りの”気まぐれ”で終わるのか、次へとつながっていくのか、それはオペラ座側の態度にかかっている。