アートなしには生きられない

バレエ、ダンス、クラシック音楽、美術館などシンガポール・東京でのアート体験を中心に。

ユーゴ・マルシャン自伝 ≪Danser≫

2月3日に発売になったパリオペラ座のエトワール、ユーゴ・マルシャンの本買いました!

 

www.arthaud.fr

 

最初はkindle版を買おうとしたんだけど(日数待たずにすぐ読めるし送料もかからないし)、版権の問題であなたの国からはだめよとなったので紙の本を注文したよ。注文から1週間かからずに配達された。

 

最初はダンスを習い始めたころの話、そしてオペラ座バレエ学校を受験した時のエピソード。(ここまで読んだ)学校に入ってどんな生活を送ってたのか、そしてオペラ座入団試験のところなど楽しみだなー。

 

ユーゴはエトワールとはいえまだ27歳と若いダンサー。自伝を出すには早いなという感じもあるんだけど、オペラ座のこの世代のダンサーがどんなことを考え、どんな風に日々を過ごしているのか、指導や配役のことなど、いろいろ興味津々。

 

アニエスの本は読んで、ダンサーとしてのキャリアを振り返っていてとても中身の濃い本だった。

ドロテの本は友人用に買って帰ってきただけなのでちらっとしてみてないけど、写真家の夫とのコラボという雰囲気の写真多めの本だった。

ユーゴはさらに若い世代でこれからの世代なので、また視点が違うかもしれないし共通しているかもしれないし、読み進めるのが楽しみ。

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パリオペラ座バレエ団 Gala d’ouverture 2021

1月27日に無観客で収録されたパリオペラ座バレエ団のガラ。もう観られる!(1/30の20時からという話はなんだったんだ(笑))

 

chezsoi.operadeparis.fr

 

Programme :
Défilé du Ballet
Grand pas classique
In the night
The vertiginous thrill of exactitude

 

ネフ総裁とオレリーの挨拶に続いて、パパパパーンと鳴った瞬間にぶわっと感動が沸騰してしまった。愛しのパリオペ。バレエ学校生徒からエトワールまでが勢ぞろいするデフィレ。ただ歩いてくるだけなのになぜ泣いてしまうのか。

そして今回は全員マスク着用。びっくりしたけど、でもこれはオペラ座の意志表明だよなあ。我々はコロナ禍にあっても、マスク着用でも、舞台に立ちます、と。そのための努力を続けますと。私はそう受け取った。

エトワールになったばかりのポール・マルクにとってはエトワールとして初めてのデフィレが無観客avecマスクということで、なんとも特別なものに…。

 

ヴァランティーヌ・コラサントとユーゴ・マルシャンの「グラン・パ・クラシック」は衣装がシャネル。ステキ。テクニックをこれみよがしにしないパリオペの優雅さ、さすがだ。すげーっと言わせるのではなく、ゴージャスでうっとりさせるグランパクラシック。(いやもちろんすごいんだけどそこをわざわざ売りにしない)ヴァランティーヌにぴったり。衣装もライティングもカメラワークも良かった。

 

エトワール6人によるロビンス「イン・ザ・ナイト」、これがまた。こんなにも切なく美しい作品だったかと、あらたに発見したかのような。1組めのマチュー・ガニオとリュドミラ・パリエロには出てきた最初からもう世界があって、さすがだ。この、何かを大げさにやらずとも語れる存在感。若い頃のマチューにはさほど揺さぶられなかったけど、昨今は見るたびに、あらためて素晴らしい存在だと思い知る気持ち。繊細さと真摯な人間性が踊りに溢れてる。2組目のレオノール・ボラックとジェルマン・ルーヴェはシンガポール公演でも同じのを踊ってるを見たのに、2人ともすっかり大人になり、以前の若さゆえのキラキラではなく人間的な成熟を感じた。素晴らしいな。3組目はアリス・ルナヴァンとステファン・ビュヨンという文字通りの大人ペアで、積み上げてきたベテランエトワールの語る力。ステファン引退近いよね。来シーズンあたりか。

追記:実際はアリスの方が先にアデューで22年7月の予定(ジゼル)らしい。

 

この作品、最後に3ペアが交錯するところがとても好き。久山さんの弾くショパンもとても素敵だったー。ダンサーとピアノの一体感。

 

フォーサイスの「精密の不安定なスリル」はエネルギッシュで元気出る。最初、ポールとパブロというパリオペの若きスター(パブロはまだプルミエだけど)が並んでてそれだけでいいわあってなってしまう。パブロはシンガポール公演でのBlake Worksでも目立っていて、本人の陽のオーラも合ってるし、フォーサイス作品好きなんじゃないだろうか。女性ダンサーはアマンディーヌ、リュドミラ、八菜さん。この5人の持つ躍動感がいい。アマンディーヌって悲劇を演じたら物凄い女優なんだけど、コンテも好きよー。

 

このガラの数日前から、ダンサーたちのインスタなどで目にするたびドキドキそわそわしていた。世界にバレエカンパニーは数あれど、私がこんなにときめいたり涙したりするのはパリオペしかないのだよなー。心の糧。マジで。大げさでなく。

 

今回この特別なガラを無料で公開してくれて、ロレックスとシャネルにはMerciiiiii !!!って気持ち。あとテタンジェも。文化芸術を大切にする土壌やそれを支持する社会があってこそ。素晴らしい。

 

いっぱい見よう。

Puoi baciare lo sposo(天空の結婚式)

映画館の予告で見ておもしろそうだなーと思ってたやつ。

 

映画『天空の結婚式』オフィシャルサイト

 

ベルリンに住むイタリア人のゲイカップルが結婚を決意し、復活祭の里帰り時に両親に自分がゲイであること、そして結婚するつもりだと告白する。受け入れる母親と、認めない父親。

この父親は村長をやってて、旅行者や移民をもっと受け入れようという主張をしている人だった。しかし息子が「彼氏」を連れて帰って来たら、それを受け入れるのはなかなか難しい。これは確かに、突き付けられる問題ではある。

そしてゲイの息子を認めない夫を受けいれない妻という、夫婦間の問題にも発展する。

 

また舞台となっている「チヴィタ・ディ・バニョレージョ」は崖の上の地上から孤立したような立地の村で、いかにも保守的ってイメージなのに、村全体で2人の結婚式の準備をすることになる。

崖の上の村まで長ーい歩道橋がかかっていて、あれはちょっと行ってみたい。イタリアずいぶん行ってないなあ。

 

イタリアはカトリックが多数派だし保守的なイメージがあるのだけど、この映画が公開された2018年にはすでに同性カップルの「シビル・ユニオン」が認められていた(2016年)という背景があって、公開当時の旬なテーマだったんだろうなと思う。

2021年の私から見ると、最近の「燃ゆる女の肖像」などがあり、もう新しさはないし、ちょっと深みに欠ける気もする。でもこれは楽しく笑って見る映画だよね。それに本国イタリアでの公開当時のインパクトなど想像すると、きっと大きかったんだろうな。世界の意識は私が知るよりもずっと速いスピードで変化していて、それはイタリアでもきっとそうなんだろう。

 

(そしてどんどん置いて行かれる日本)

 

現代は「花嫁にキスを」という意味らしい。(イタリア語)

なるほど。

 

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新国立劇場バレエ団『ニューイヤー・バレエ』ライブ配信

1月9日-11日に予定されてた新国立劇場バレエ団の公演が、関係者に新型コロナ陽性が出たということで中止になってしまった代わりに、1/11に行われた無観客での無料ライブ配信

 

【公演中止/無観客公演ライブ配信】ニューイヤー・バレエ | 新国立劇場 バレエ

 

プログラムは、パキータ / Contact / ソワレ・ド・バレエ /カンパネラ / ペンギン・カフェの三部構成。

 

ペンギン・カフェ』いい作品ね!パッと見で子供向けの作品なのかと思ったら、現代に生きる私たち地球人へのメッセージが素晴らしい。音楽もいい。これはもっと踊られてほしい。

1988年初演(ロイヤルバレエ)とあるから、ビントレーはその頃から地球、環境、エゴとエコ、といったことを考えていたわけだな。とても”いま”らしく感じるけど、それは初演から30年以上経ってもなお私たちがうまく取り組めていないということの証なのかもしれない。

 

公演プログラム

B_NYB_programme

キャスト表

https://www.nntt.jac.go.jp/ballet/pdf/newyear2021-cast.pdf

 

このライブ配信、28000人ほどが視聴したそうで、大成功だったのでは。本来なら劇場で3公演だったところ、仕組みとしては世界中から無料でアクセス可能だったことでかなり幅広い人が見た可能性。有料でもよかったのに!となったらこういう方法も。

 

新国立劇場 インターネット小口寄附 | 新国立劇場

 

 

さて、新国立劇場についてはステイホーム期間中にさまざま観たカンパニーや作品の中で、自分の中でどうしてもぬぐえない違和感のため、正直どうかなあと思っていた。第一部『パキータ』をみてやっぱり違和感でいっぱいになってしまい、ちょっとその思いを第二部まで引きずってしまった感。

 

気になってしまうのは(主に女性ダンサーの)表現手段としての”表情”なのだが、全員ではないけど、私には「その表情、どんな感情を表現してるの?」「どういう気持ちの時にその表情になるの?」というのがわからないことがあるんだよね…。

というのも、他では見ない表情(表現)だと思うから。日常生活の中でも見ないし、自分もしないし、他国のカンパニーでも見ない。(と思う)

その独特の表情・表現が、好きな人もいるだろうし、そこに個性を見出す人もいるだろうし、何も気にならない人もいるだろう。しかし私には違和感として、作品を見る邪魔になってしまう…。

過去を新国の思い出を振り返ってみても、眠りのオーロラ、ラ・バヤデールのニキヤ、マノン、ロミジュリのジュリエットといった中でも気になって仕方がなかった。気になったことをすごく覚えている。(特定のダンサーに限った話ではないし、主役だけの話でもない)

 

これまでもなぜ私はそこが気になってしまうのかと散々考えて、もう諦めたのだけど、これがある限り私はこのカンパニーでの全幕物はおそらく心底入り込めることはないし、感動もできないのだと思う。仕方がない。

たぶん私は女性ダンサーたちにもっと強い大人の女性像を求めてるんだろう。日本の女性に求められがちな若くて華奢で軽くてか弱くて未熟なイメージを払拭してほしいんだ。その逆を感知してしまうとダメなんだろうなきっと…私の側の問題だけど…。

 

そんなわけで、当面劇場に足を運ぶ予定はないかなーという感じではあるのだけど、それもまたいつどう気持ちが変わるかわからないしね。『ペンギン・カフェ』という発見もあったし、無料配信は感謝。今回の企画が今後につながりますように。

 

Funan(フナン)

映画『FUNAN フナン』公式サイト

 

1975年カンボジアクメール・ルージュに平穏な生活を奪われた家族の話。

突然日常が奪われる恐ろしさ、奪う側に誰がなってもおかしくないという恐ろしさ。アニメーション映画で描かれる過酷な時代。

 

多くの人々と共に強制的に移動させられる中、チョウとクンの夫婦は3歳の息子ソヴァンとはぐれてしまう。厳しい強制労働、全うな食事や家族や尊厳を奪われる日々。息子と再会できないまま3年以上が経つ。私だったら絶対に生き残れない!と何度も思った。肉体的な厳しさはもちろんキツイが、精神的なダメージの大きさをおもうと辛すぎる。しかし厳しい中でも残る人間らしさに、少しだけ救われる。

 

元々は同じ土地に暮らしていた人たちなのに、なぜこんな対立が生まれてしまうのか。人はなぜこんなに残酷にもなれてしまうのか。家族や隣人であっても、近しい人だからこそ、互いを理解できないダメージもデカい。

 

たぶん15年くらい前になるけど、アンコール遺跡のあるシェムリアップに行ったことがある。あの頃は私もまだ行ったことがある国や文化も少なかったし、現地の子供たちが観光客に1ドルの土産物をなんとか買ってもらおうと集まってくるのに複雑な思いをしたのを覚えてる。当時の経験値では、旅行先としては一番貧しいところだったかもしれない。日本語を学んで観光ガイドをしている若い人と話して、彼らが日本語を勉強してよかったと少しでも思ってもらえたらと思ったものだった。あの時の経験は結構衝撃だったのだよね、私にとって。旅って観光地見学だけじゃないのよね、長く記憶に残るのって。

 

監督はカンボジアにルーツを持つフランス人のドゥニ・ドー。べレニス・ベジョとルイ・ガレルが主役2人の声で出演。

 

最後の、風が吹くところでじわーっと泣いた。

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Une nuit au Louvre : Léonard de Vinci(ルーブル美術館の夜 ダ・ヴィンチ没後500年展)

今年の映画館、1本目はルーヴル。

 

ルーブル美術館の夜 ― ダ・ヴィンチ没後500年展

 

2019年にパリのルーヴル美術館で開催されたダ・ヴィンチ展。ちょうど開催中の時期にパリに行ってたので観に行きたかったんだけど、大人気で予約が取れずに悲しい思いをしたのだった。

 

そのダ・ヴィンチ展を企画した学芸員によるプライベート・ツアーを映画館で。美術館で本物を目の前にしても見えないような微細なところまで見せてくれて、それを専門家の解説付きで鑑賞できるというのはある意味贅沢なのかも。時系列でダ・ヴィンチの作品や新しいテクニックについて語られ、その時代時代に目指したこと、興味などが解説され、最後にモナ・リザに至る。

 

ダ・ヴィンチは日本でも人気だし、いろいろな切り口で展示会もテレビ番組もわりとあるので雑学的に知っていることもある。でもこの没後500年記念展、10年前から準備してたんだって。その2名が構成しているだけあって、弟子時代から晩年に向けてのダ・ヴィンチの人生と作品、変化がよくわかる。最後のモナ・リザを見ると、なるほどなーーとなった。

 

このExpositionのカタログめちゃくちゃ欲しい!

Louvre Museum Official Website

オンラインショップ見てみたけどなかったわ。。

 

 

全編にわたってナレーションと学芸員2名による語り、そしてクラシック音楽のみ。耳にも心地よい。

よいのだけど、ちょっと字幕が不満かな。

 

作品の解説や技術的な説明に固有名詞や専門用語が多数出てくるので、日本語字幕があるのはありがたいのだけど、結構端折られている気がした。

もちろん字幕には文字数制限があるのはわかるのだけど、できれば語られている情報は削られずにすべて知りたい。ので、聞き取りに力を入れると、今度は絵をじっと鑑賞する力がそがれてしまう。その力配分が難しかった。フランス語の聞き取りは諦めて字幕に頼ってしまえばよいのかもしれないが。

 

でも彼らの語りを聞き流してしまうには惜しいんだよー、でも字幕を全く見ないと理解度が下がっちゃうんだよーー。ジレンマ。

字幕ほんと大事。大事です。

 

今年はフランス語ももうちょっと真剣に見聞きしようかな。忘れたくないしね。

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国立劇場 初春歌舞伎『四天王御江戸鏑』

国立劇場 通し狂言 四天王御江戸鏑 (してんのうおえどのかぶらや)

毎年お馴染みの菊五郎さん一座による初春歌舞伎。初日おめでとうございます。

 

www.ntj.jac.go.jp

 

初日とはいえいつものような賑やかさとはいかないコロナ禍。今年は少しでも早く平常に向かいますように。

 

時事ネタをぶちこんで笑いを誘うのが恒例の菊五郎さんの初春、今年はソーシャルディスタンス、アマビエ、手指消毒、ながーい柄のついたのでお酌をしたりとコロナ禍さえも笑ってしまおうという期待通りのやつ(笑)。菊五郎さんってほんと楽しいのが好きなんだろうな。お得意のオヤジギャクも性格が出てる感じするしね。なんとも言えない"間"であったり言い回しであったり、やはり経験と人柄だろうか。

 

時事ネタで笑う意外にも見どころはもちろんあって、私が個人的に好きな「○○実は△△」みたいなやつ、今回のもそれ。「女郎花咲 実ハ 土蜘蛛の精」を演じる菊之助。すっぽんから登場した時の怪しい美しさ、あれはろうそくの明かりの怪しさといい、とてもよかった。

初春だから楽しいやつに間違いないとわかってるし、肩ひじ張らず、予習も要らず、ほんと気軽な気持ちで観に行けるのがいい。

もちろんこんなご時世なのでコロナ対策を忘れるわけにはいかないのが辛いところだけど。

 

やっぱり歌舞伎って、その時の世の中を反映してこそこれから先も長く残っていく可能性がある、と思うよね。そしてちょうど1月2日、3日にBSで放送されたナウシカ歌舞伎のように、歌舞伎というのは新しいものを取り込んで、完全な新作であってもこれは完全に歌舞伎だ!と思わせられるだけの積み重ねがある。

古典の手法を使って現代的な感覚を描くこともできるはずなので、菊之助さん世代の役者さんたちには期待している。

 

それもこれも早く世の中が平常に戻ってくれないとね。個人レベルでは日常の地道な対策くらいしかできることがないのがもどかしいけど、こんな中でも上演し続けているエンタメ業界を微力ながら応援したい。

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ENCORE パリオペラ座バレエ団『ラ・バヤデール』≪L'Opéra chez soi≫

購入から7日間のみ視聴可能と思っていたのだけど公開期間が12/31まで延びた!(歓喜)というわけでありがたくリピートしている。

 

La Bayadère - Live - L'Opéra chez soi

 

主役エトワールたち以外にも見どころが多い『ラ・バヤデール』。今回は1回限りの公演ということもあってか配役が豪華。プルミエの起用の仕方は、ぜいたく~と思うと同時にちょっと切なくもあるような。

 

例えばシャイエの大僧正。もちろん重要な役だし、エロおやじ感のない若い大僧正はなかなかよかったんだけど、踊らない。そしてオドリック。ニキヤのサポートとしてのみ出演よね。もちろんドロテと組むわけだから誰でもいいわけはないけど、あくまでドロテの引き立て役…。

プルミエールではパクさん、シルヴィア、八菜さんの3人の存在感は大きかった。2幕Pas d'action の華やかなこと。2幕はここに至るまでにコールドの踊りがいくつかあって、キャラクターダンス、有名なIdole dorée(ポール・マルク)、Manou(マリーヌ・ガニオ)らを経て、徐々に主役の踊りへと登り詰めていくグラン・バレエらしい構成がとても見ごたえある。

たくさんの踊りとダンサーを経由して登場するガムザッティのヴァランティーヌ!さすがエトワールの華とテクニックと存在感。アマンディーヌのニキヤに釣り合うためにもやはりヴァランティーヌレベルが必要だった、という感想。

 

しかし数年前にはアリュがソロルを踊ったり、八菜さんがガムザッティやったりしてたんだもんね。今は通常時ではないとはいえ、ここ数年のキャスティングはプルミエにあまりチャンスが与えられてないように感じる。私がパリオペを見始めたのは2005年頃からだけど、当時はシリーズ中必ずプルミエやスジェのダンサーが主役を踊っていた(と思う)。ミルピエ時代にはスジェやコリフェが主役に抜擢されることも多く、階級軽視と批判も出ていた。

 

今は女性エトワールが充実していて、クラシックの全幕を踊れる充実期にあるダンサーが何人もいるので、なかなか若手にとってはチャンスが少ないんだろうなー。

一方男性エトワールは5人と少なめだったので、そういった事情もポール・マルクのエトワール任命につながったのだろうな。オドリック、フロリアン、ヴァンサンというベテランプルミエらが任命される可能性は、オレリー監督下では低そう。そして、アリュ。。

オレリー監督下での昇進を見ると、パリオペの中でも目を引くフレンチスタイルを体現し美しいラインを持ったダンサーで、さらにエトワールになるには20代のうちでないと難しそう。パクさんやシルヴィアにチャンスは来るだろうか。

 

まあ、素人の勝手な妄想だけど。

 

と同時に今回の『ラ・バヤデール』を見ると、やっぱエトワールは違うわ!となる気持ちもある。若手が経験を積む機会がなくなってしまっているコロナ禍。早く通常通りの公演ができるようになることを願わずにはいられない。

 

 

今年はまるまる1年日本にいたことになる。それって何年振りだろう??

生の舞台を観る回数はとても減ってしまい、来年も少なくとも前半は見込み薄。

 

一方で、ロックダウン中に世界中の団体がたくさん動画を見せてくれたので、初めて観たカンパニーや作品も多かった。生の舞台の場合チケット代がそれなりに高いので、なかなか一か八かの勝負はしにくいけど、オンラインでは手軽に幅広いものを観られて、あらたな発見や、自分の好みについても気づきや悟りがあった。

 

それにしても、まさかこんな事態になるなんてね。人生何があるかわからない。やりたいことは先延ばしせずに、できるときにやっておこうね。しみじみ。

来年はいい一年になりますように。

The Kindness of Strangers(ニューヨーク 親切なロシア料理店)

そろそろ今年の映画見納めの時期ね。

 

映画『ニューヨーク 親切なロシア料理店』公式サイト

 

まだ小さい息子2人を連れてNYCに逃げてきたクララはお金も頼れる人もなく、車もなくなり、寝るところ、食べるもの、着るものにも困る。子供たちに広い世界を見せたいと願ってのこととはいえ、嘘をついたり万引きしたりしながらなんとか取り繕おうとする。でもそれは長続きしない。無理もない。

 

ニューヨークらしくいろんな人がいて、都会ゆえの活気と孤独。孤独だけどみんな優しいのがよい。辛い過去を他人に当たり散らさない。困ってる人を目の前にしても立場の強さを利用しない。見知らぬ者同士が手助けでつながっていく。

 

いきなり大きなことはできなくても、目の前で困っている人に自分に無理なくできることで、手を差し伸べる。同じ街にいる人間同士としての共存。

私はこれをパリに暮らしてみて感じたのだった。見知らぬ他人同士だけど、同じ街に住む者同士うっすらと感じる連帯。自分もここにいていいんだと思えたものだった。

 

この映画のクララのようにシリアスな状況になったとき、手を差し伸べてくれる人がいるだろうかと、今、東京にいる私は若干不安になる。なので、困ってる人がいて自分にできることがあれば、それが家族や知り合いでなくても、連帯できたらと思う。

 

人を救うのは、家族や”絆”でなくてもいいのだよね。”絆”が声高に叫ばれるとき、同調圧力が発生している。日本の人は規則には忠実だけど、規則にないと動かない、動けない傾向があるのではないか。やれって言われてないし。余計な事して巻き込まれた困る、みたいな。そういうことを超えて、できることをできるように。

 

それと同時にやっぱり公助も大事よね。こんなご時世だからあらためて思う。人々の善意にまかせていたら、運・不運に左右されてしまう。本作のクララは不幸中の幸いというか、温かい人たちに出会った。しかしクララのような苦境につけこむ悪い奴も現実社会にはいっぱいいるだろう。

 

本作の監督、ロネ・シェルフィグ監督はデンマーク出身。なるほど、舞台はニューヨークだけど出演俳優たちも出身さまざまで、その多様さがヨーロッパ的でもある。強者を描くのでないところもヨーロッパ的と言えなくもない。無駄に大げさにすることなく進むところも好感。演技も脚本も。

 

タハール・ラヒム久しぶりに見た!ジャック・オディアール監督の≪Un prophète≫『預言者』は衝撃だったなー。あれ2009年だって。

 

今年後半は女性監督の素晴らしい作品が何本もあって、どれもそれぞれの味わいがあって印象深い。

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Portrait de la jeune fille en feu(燃ゆる女の肖像)

見事だ。

 

映画『燃ゆる女の肖像』 公式サイト

 

18世紀、ブルターニュの孤島が舞台。画家のマリアンヌが貴族の娘エロイーズの肖像画を描くために雇われ、館を訪れる。館で働くソフィー、エロイーズの母と4人の女性が主な登場人物。

 

マリアンヌとエロイーズが、描く側、描かれる側として対峙する目線。ほとんど音楽もなく、俳優たちのアップが静かに多様される。映画を観ているこちらも緊張する。2人の間にどんな感情が湧き、動いているのか。その一瞬一瞬が見逃せない感じ。

 

エロイーズの母が不在の5日間、マリアンヌ、エロイーズ、ソフィーの3人は身分や役割の垣根を超え、同じ女性として自然体に過ごす。貴族としての生活、生き方を象徴するような母親の不在によって、エロイーズは解放され、自分らしくいられる。たったの5日間。切ない。

 

当時の女性たちが置かれていた状況。貴族であってもそうでなくても、行動や選択には多くの制限があった。その中でも、身分や立場を超えて女性たちは連帯する。あの5日間の過ごし方は象徴的だった。

 

また画家という職業を持つ女性も、表立って活躍することはできなかった。父親の名前でサロンに出品するマリアンヌ。そんな環境であってもマリアンヌは強いし、画家という職業に誇りを持っている。

 

エロイーズは、貴族の娘であるがゆえの選択肢のない、決められた人生に怒っている。その怒りは現代女性である私たちもわかるよね。決められた相手と結婚し子供を産むことを求められ、それ以外の人生はない。ここまで露骨ではないにせよ、現代女性にもある呪縛。

 

時代や立場を超え、マリアンヌとエロイーズの間に生まれる強い感情。それを演じる俳優たち、撮る監督のすさまじさ。圧巻。

 

音楽がほとんどない分、ブルターニュの激しい波音が印象深いのと、絵画的な美しさの衣装と風景。

また、ヴィヴァルディの四季、ケルトっぽい響きの歌、オルフェの神話。非常に効果的に使われている。

 

なんとも深く、考えさせられる映画だった。唯一無二。素晴らしかった。

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